「SCHOOL BUS RECORDS、完全ワンオペ時代〜SNAIL RAMPの作り方・30」タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』
「東名阪それぞれ各1店舗限定で、通常のリリース日より1週間早く売れるようにするので、お店の広告内で大きく取り扱ってほしい」
当時の、初めてのアルバムを出して数ヶ月しか経っていないインディーバンドとしては精一杯の要求だった。しかし、どのお店も快く応じてくれ、大阪のタイムボムさんは本当に大きく載せてくれてたのを覚えている。そして実際にこの先行発売の売れ行きもよかったためか、その後のバックオーダーもまとまった数がきていた。
SCHOOL BUS RECORDSは自分ひとりのレーベル運営だったが、インディーズのバンドレーベルで昔から提唱されていた「DO IT YOURSELF」(自分たちでやる)の精神で実践していたわけではなかった。むしろやたらと「D.I.Y」を声高に叫ぶ昔ながらの人たちには、違和感を感じることが多かった。
「CDのプレスだって自分たちでやらないと、本当のD.I.Yじゃないんじゃないのか?」というのが、その理由だ。そういう意味で俺はD.I.Y原理主義者だったのかもしれないし、D.I.Yの意味を厳格に捉えすぎていただけかもしれない。
ひとりで運営していくのは確かに大変だったが、それが幸いしたこともあった。
個人で経営している、千葉のとあるインディーズCD店。すぐヤクザにでもなれそうなやんちゃな感じの店主だったが、突然「仕入れさせて」と電話があり、直接の取引を開始した。しかもその地元でライブを企画してくれたりもして、2回ほどライブもやったと思う。
そんなある日、そのお店は突然なくなった。経営がうまくいかなくなったようで、各レーベルやディストリビューターから仕入れたCDなどの商品代を、未払いで夜逃げしたのだ。何人かのスタッフを雇って運営している、俺の周囲のレーベルなんかも軒並みやられていた。
ただ、俺にはちゃんと代金が支払われていたんだよね。もちろん、うちはよそのレーベルに比べたら大した額ではなかったから、払ってくれたのかもしれない。それでも夜逃げする前に代金を律儀に振り込んでくれていたのは、多少でも個人的なつながりを感じていてくれたからじゃないかな、と思うんだ。
俺、甘い?