「SCHOOL BUS RECORDS、完全ワンオペ時代〜SNAIL RAMPの作り方・30」タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
前回は自主レーベルSCHOOL BUS RECORDSを立ち上げたものの、プレス会社にあしらわれたという1997年初頭頃の話を書いた。レーベルの活動としては、実体がないのに1996年12月にいきなりレーベルTシャツをリリースしたのち、1997年からSNAIL RAMP、MR.ORANGE、ONE TRACK MINDと3バンドの音源を立て続けにリリースしていった。
そもそもレーベルを始めたのは、ファーストアルバムをリリースしたのちに「他人頼みではいけないが誰か引っ張ってくれる先輩がいたら、もっとスムーズにここに辿り着けたんじゃないか?」という思いがあったからだ。さらに、その頃は「自分が関わることは、何でも理解していないと気が済まない」という変な探究心があったので、家電や車を買えば、その説明書を穴のあくほど読み込み全機能を理解するという、暇人にしかできないようなことをしていた。ゆえにファーストアルバムをリリースしたあとは「音源作品というのは一体どんな仕組みで世に流通され、人に聴かれるんだろう」と気になったし、一旦気になるとそこに関わっていない自分の居心地が悪かった。
そんななかで念願叶い、自分のレーベルを設立。自宅の6畳部屋がSCHOOL BUS RECORDSの事務所となった。その頃はプレス工場からディストリビューター(いわゆる問屋)に商品を直接送れるということも知らなかったため、プレスされたCDが文字どおり山のように6畳間に積まれ、自分の車でこっちの問屋に200枚、あっちに100枚と納品していった。
そして小売店でもなるべく直接の取引をしたかったので、電話とFAXで注文を受けてあの店に10枚、この店に5枚と持ち込んで納品したり、ゆうパックで送付するというえらく手間のかかることもしていた。
SCHOOL BUS RECORDSの第1弾リリース、SNAIL RAMPのファーストシングル『FLAT FISH COMES!』の際も、広告費を使ってプロモーションする勇気もなく、リリース情報をどうやってリスナーに伝えるかもわからなかった俺は、『DOLL』というPUNK系音楽雑誌に広告を出しているCDショップにいきなり電話をかけて交渉してみた。
内容としてはこうだ。(次ページへ)