「メジャー契約での憤り~SNAIL RAMPの作り方・34」タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』

連載・コラム

[2020/4/25 12:00]

1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!


前回は1997年の12月あたりまで来たので、今回からは1998年からスタートすればいいのだが、この年に何をしていたのかイマイチ記憶がない。覚えているのは夏にセカンドアルバム『Mr.GOODMORNING!』をレコーディングして、リリース。んで、そのツアーか。大雑把に言うとそれくらいしか記憶がない。

1997年秋だか1998年にはそれまでサポートメンバーだった米田(AKIO)がギターとして正式加入し、ドラムに石丸、ベースに竹村という布陣が確定した。そしてマネジメントとしてジャグラーと正式契約を交わしたSNAIL RAMP。俺としては、このままメジャーレコード会社との契約までこぎ着けたい気持ちでいっぱいだった。焦っていたと言ってもいい。

この頃までの単独リリースとしては、ファーストアルバム『A PIZZA ALREADY』、ファーストシングル『FLAT FISH COMES!』があり、セカンドアルバムはメジャーでやりたい気持ちが強かった。とは言え、SNAIL RAMPはこの時点でワンマンライブをやったことすらなく、やってみたところでせいぜい300人〜400人の集客が関の山だったのではないかと思う。その程度のレベルだった。

ただ実際にメジャーレーベルからの契約オファーは来ていた。それも3社! それを聞いたときは素直に嬉しかったし、正直「どこでもいいです!」とも思ってしまっていた。兎にも角にも、まずは3社それぞれの担当者と会い、話しを聞いてみようとセッティングしてもらった。

ある社の担当ディレクターからは、

「歌詞ね、英語はダメだよ〜。日本でやるんでしょ? 絶対売れないから。日本語でやって」

と言われたが、これは各所でしつこく言われた。ちなみに俺たちは誰も英語は話せないので、そういう意味では歌詞を日本語で書いたほうが超絶にラク。それでも無理して英語で書いて話せもしない英語で歌うのは、それが「可笑しい」と思ってるから。たまに海外の人が変な日本語で歌ってるのって可笑しいじゃん? そのファニーさを日本人が英語で歌うことで出してみたかった。

ただCDセールスが伸びるにつれ「SNAIL RAMPの英語はひどい。なんだあのカタカナ英語は!」という外野の人たちが出てきたが、こちらにしてみると「いや、ひどくやりたいんですが……」の気持ちでいっぱいだった。

あとせっかくなので歌詞について触れておくが、SNAIL RAMP初期においても日本語詞を書いてみたことはあった。が、ひどいもんだった。意味が聴き手にストレートに伝わるのはいいが、生々しすぎてそっちに気をとられてしまう弊害が続出。これはひとえに俺の作詞能力が低かったからで、書ける奴が書けば「素晴らしい! 震える!」となるのだろうが、そうじゃない俺のようなやつが書くとただのポエム。うす気味悪いだけの歌詞になってしまうのだ。

話しが逸れたが、上記の理由から歌詞を日本語にするのが有り得なかったのと、その担当ディレクターはお寿司にも焼肉にも連れて行ってくれなかったので、契約はお断りした。基本的に当時の俺たちレベルのバンドマンは「レコード会社の人=お寿司 or 焼肉」の目でしか見ていないし、「あー、俺たちのことをバカにしてんだろうな」というのが透けて見えたからだ。

その次に会ったレコード会社は大手も大手、「いい!いい! ここでいいよ」と即答したくなる正にメジャーレーベルだった。が、その契約内容に唖然。

「アルバム7枚契約。これをリリースするまでバンドから契約を切ることはできないが、売れなかったらレコード会社からは途中で契約を打ち切れる」

という内容だった。契約にはさまざまな形があるが、通常の複数枚契約であればアルバム2枚〜3枚で終了。ボーンと売れたら契約終了時点でもっと条件のいいレコード会社に移るの普通だが、上記の会社ではそれがアルバム7枚を出すまで移れない。しかし、レコード会社からはいつでも契約を打ち切ることができる。

こんな不平等な契約がまだ現代にあるのか?と驚愕し、そんな契約内容を平然と出してくるレコード会社に怒り狂って、当時のマネージャーにも喰ってかかった。だが当のマネージャーは「まぁ、(あの契約は)ないよね」と涼しい顔で契約を却下する程度だったので、業界ではあり得る話なんだろう。

残りの1社については会社名も覚えていないし、どんなやり取りをしたかも忘れた。ということは、そこだけは可もなく不可もなく俺たちに接してくれたんだと思う。

結局、1998年のSNAIL RAMPはメジャーレーベルと契約を結ぶことはなかった。

当初は「2枚目のアルバムは絶対にメジャーでやりたいから」とマネージャーにあれだけ力説していた俺も、「何がメジャーだよ、フザけんな」という気持ちになっていた。今考えれば、当時の自分たちの価値なんてメジャーレーベル側にしてみたらどうでもいいレベルであったし、メジャーレーベルに対し過度の何かを期待していた世間知らずが、当時の俺だったのだ。

そして「もう1枚インディーでアルバムを出し、きちんと結果を出す。それを基にまたメジャーと話せばいい」と決めた。俺たちはセカンドアルバム『Mr.GOODMORNING!』の制作へと舵を切った。

つーかさ、1998年のことはあまり覚えてないと冒頭に書いたが、書き出すと思い出すもんだな……。

タケムラアキラ

竹村哲●1995年にスカパンクバンドSNAIL RAMPを結成。2000年にリリースしたアルバム『FRESH BRASH OLD MAN』でオリコン1位を獲得するなど、一時代を築く。バンド活動と並行し、2001年からキックボクシングを始め、2014年10月に43歳の年齢でNKBウェルター級チャンピオンに輝く。2015年12月12日には後楽園ホールにて引退試合を行なった。SNAIL RAMPは現在、“ほぼ活動休止”中。