「青森の打ち上げでくっそ盛り上がった翌日の秋田ライブ・前編~SNAIL RAMPの作り方・39」~タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
前回は俺の記憶の曖昧さから、本来書くべきセカンドアルバムツアーとファーストマキシシングルのツアーを混同し、そこでの石丸超絶ナンパ成功物語を書いた。今回こそはきちんとセカンドアルバム『Mr.GOOD MORNING!』ツアーでのことを書こう。
初日の札幌を終えて、青森は弘前市のマグネットというライブハウスへ移動したSNAIL RAMP。ここは確か元映画館で、ギュッと入れたら400~500人くらいは入るんじゃねーの?ってほど地方にしては大きめのライブハウス。ただ、前年の青森市ライムライトで10人に満たないお客さんの前でライブをやっている俺たちとしては、「ムリだ……こんな大きいハコでやったらスカスカになっちゃう。怖い、怖すぎる」とマジで震えていた。
そしてオープン時間。出足こそ鈍かったものの徐々に人が集まりだし、ライブスタート時にはそれなりの人たちがフロアを埋めてくれていた。
「うわ~、よかった~!」との安堵感とともに、「うぉっしゃー、やるぜー!」と押し寄せるテンション。勢いそのままにライブをやり、打ち上げに突入だ。マグネットのなかで始まった打ち上げは人も多く、ライブで上がったテンションのまま突っ走る俺。ちなみに俺は一滴も酒が飲めないし、美味しいと思えないので飲みたくもない。しかし当時は打ち上げをリードしないと気が済まないタイプでもあったので、何杯もカルピスを飲み干しながら大声で騒ぎまくっていた。
マグネットでの打ち上げがお開きになってからは、何人かでホテルへ移動。結局、寝たのは朝の8時過ぎで、1時間ちょいの仮眠だけで翌日のライブ地、秋田へ向かった。身体はぐったりしているし、全力でのライブ→全力での打ち上げで当然のように喉の調子も悪い。「これは寝たほうがいいな」と思う暇もなく、秒で車内爆睡。「タケちゃん、着いたよ」とマネージャー・テツラーノに起こされるまで、まったく起きなかった。
車を降りたくなかったが、ここが今日のライブ地だ。バンドマンとしては降りねばならぬ。「うううう、ダリぃ……」と呟いたつもりだったが、まったく呟けない。
あれ?
(あー、あー)
え?
(あー、あー)
ウソだろ!! 俺、声出てねーじゃん!!
シャッターを下ろすように血の気が引くのが自分でわかった。喉の調子が悪くて高いキーが出ないとか、声がかすれ気味だとかそんな生易しいレベルではない。本当に、まったく声が出ないのだ。
ボーカルとしてその絶望的な状況に、俺はただただ動揺した。声を出そうと思っても息が漏れるだけで、音(声)にならない。歌うどころか話すこともできない。いや、ひとつだけ話す方法はあるのだが、それは人の耳元でやるような「コソコソ話」。あの空気感たっぷりの話し方であれば喋れるが、ライブでそんなのは通用しない。
もしあれでライブをやろうもんなら「うぉぉ! SNAIL RAMPがカヒミ・カリィ化を目論んだが、当然に成りきれてない!」と本意でない衝撃を与えることになってしまう。えー、このコラムを読んでる人でカヒミ・カリィがいまいち掴めていない人は、すぐググってその歌声を聴いてください。俺がそのときどんな声だったか、それでどんなライブができるのかすぐイメージできます。
少しでも喉を温存するためにまったく歌うことなく当日のリハを終えた俺は、大慌てで現地の耳鼻咽喉科を探した。実は俺にはこの絶体絶命の場から大逆転ホームランを打つ算段があった! さすがにここまでひどくはなかったが、レコーディングだというのに声が出ないときがあり、耳鼻咽喉科に行って症状を説明。注射を打ってもらったら、マジで1発で声が出るようになった経験があったのだ。
「とにかく耳鼻科さえ見つかれば大丈夫! あとは医者が何とかしてくれる!」
そう強く信じ込み、地元の人に教えられた耳鼻科へ向かった。あった! あそこだ! あそこで俺は救われる。俺はその耳鼻咽喉科に飛び込んだ。
(続く)