「絶対に忘れない22年前の会津若松ライブ(前編)~SNAIL RAMPの作り方・42」~タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
1998年に行った、セカンドアルバム『Mr.GOOD MORNING』のツアー。まったく声の出ない状態でやった秋田サウンドサプライでのライブ後は、仙台マカナでのライブ。そして数日のオフを経て向かった福島県は会津若松でのライブ、これが絶対に忘れられないライブとなった。
そもそもこの会津若松でのライブ、当初はツアーの候補地には入ってなかった。それがスケジュールに組み込まれたのはほんと突然のことだった。ある日、事務所に届いたひとつの荷物をマネージャーが俺たちに見せてくれたのが始まりだ。
なんかビッシリと書き込まれたノートに、少し長めの手紙。まず手紙から読んでみた。かなり昔のことなので記憶も曖昧だが、そこには、
「初めまして。私たちは会津若松のSNAIL RAMPファンです。東京まで行ってライブを観たこともありますが、学生にとってはそうそう行けません。ほかのバンドさんたちもツアーをやっても会津若松には来てもらえません。
ぜひ会津若松でライブをやってもらえないでしょうか? そしてできればSCHOOL BUS RECORDS(俺が代表を務めるレーベル)のバンドと一緒に来てもらえたらとても嬉しいです。
ライブハウスはないのですが、音楽好きの方が場所を貸してくれることになっています。どうすれば来てもらえるのか私たちにはわかりませんが、SNAIL RAMPを待っている人たちがいるということだけでも知ってほしかったので、署名を集めました」
とあった。そしてマネージャーから手渡されたノート、それを開くと名前・住所、そしてSNAIL RAMPへの愛あふれるコメントがそれぞれの字体で本当にビッシリと書き込まれていた。圧倒されながらすべてを読み終えると「どうする?」とマネージャーから訊かれた。
俺たちはその署名ノートの熱量に圧倒されながらも即答した。
「んなもん、行くしかないでしょ!」
「だろーねー、そう言うと思った。でも多分、場所とか酷いよ。まともにライブをやれる環境ではないかもしれない」
「関係ないっしょ。音とかどうでもいいよ。行くことに意味があるわ」
「だよねー、絶対そうなると思ったわ」
この案件、マネジメント事務所にしてみれば厄介だけの、手間はむちゃくちゃかかるのにお金にならないものであり、絶対にやりたくないライブだ。しかしマネージャーのテツラーノはこの展開を楽しんでいるようにもみえた。俺? 俺はこのとき、最高に嬉しかったよ。最高にね。こんなに純粋にSNAIL RAMPのことを観たいと言ってくれて、どうしていいかわからないから署名を集めてみて、それがこんなにいっぱいになっちゃうなんて! やり方としてはある意味頭が悪くて、それがもうたまらないわ。そのよくわからない思考とパッションに今思い出してもカーッと頭が熱くなる。
このときのSNAIL RAMPなんて、いわゆる一介のインディーバンドにすぎない。その俺たちをここまで欲してくれたことは確実にバンドの支えとなった。事実、この瞬間のバンドの士気の高さたるやSNAIL RAMP史上でもかなりのモンだったはず。
そしてすぐ手紙にあった連絡先に俺が電話をした。
「SNAIL RAMPの竹村ですけど……手紙どうもありがとう。署名も集めてくれたんだね、びっくりしたよ。会津若松に行かせてもらいたいので、よろしくね。SCHOOL BUSのバンドも誰か連れてくよ。バンドのリクエストがあれば言ってみて。ワントラ(※ONE TRACK MIND)? OK。じゃあ彼らのスケジュールが空いてれば絶対に連れていく。細かいことはスタッフとやり取りしてくれたら大丈夫」
電話の向こうは女の子だった。まったく相手にされないと思ったそうだけど、そんなわけないよね。22年経った今でも覚えてるんだから!
数ヵ月後、俺たちは会津若松に行く。そして驚愕の場所でライブをすることとなる。