「史上最大の打ち上げ~SNAIL RAMPの作り方・46」~タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』

連載・コラム

[2020/12/21 12:00]

1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!


1998年に行ったセカンドアルバム『Mr.GOOD MORNING!』のツアーも鬼門・佐賀を終え、数本回ったのちにファイナルの渋谷クラブクアトロを迎えた。

当時のクアトロのキャパが700だったか800だったか忘れたが、そこを埋められる動員力はそのときの俺たちにはなく、震えるような気持ちでファイナルを迎えたのをよく覚えている。当時は「なんでこんなデカい分不相応なハコを押さえるんだよ」とマネジメントにこぼしていたが、バンドをステップアップさせていくために王道なやり方だったことは、あとになってわかった。

サポートにはDUCK MISSILEともう1バンド、山嵐だったっけ……?についてもらい、幕を開けたツアーファイナル。動員的には500~600人だったか、始まってみればなんとか恰好のつくくらいのフロアの埋まり具合で、脱力するような安堵感でいっぱいだった。

ここで話しは急に現在に飛ぶ。

サポートしてくれたバンドがダックミサイルともう1バンドが何だったか、俺はそれを確かめたくてSNAIL RAMPの元ドラムの石丸にLINEをした。石丸はドラムのほかに俺のSNAIL RAMP人生HDDとしての役割も担っており、俺が忘れていることでもアイツはちゃんと記憶していてくれる。なので俺は思い出せないことがあるとすぐ石丸に連絡をするのだ。

今回もすぐに石丸にLINEをとばした。するとこんな展開に!

石丸のLINEを見た当初「メンバーや関係者への打ち上げお知らせを貼りっぱなしとか、そんなミスをスタッフがしたのか」と笑ったが、ミスでもなんでもなかった。その渋谷クアトロのツアーファイナルの打ち上げは「お客さんもご一緒に!」スタイルだったようなのだ。

今思えば「おいおい……」なのだが、思い返してみればSNAIL RAMPを結成して2~3年、下北沢屋根裏などでライブをしたあとはお客さん(と言っても友達ばかりだけど)と一緒にやる打ち上げが普通だった。そして段々と動員が上向く状況を感じながらも「環境が変わってきたとしても俺たちはスタイルを変えない」という意地のようなものもあったので、その意思表示のひとつが「お客さんへの打ち上げ案内」だったのだ。

それにしても『北の家族Z』は懐かしすぎる。渋谷のどこら辺だっけなー。今だとヨシモト∞ホールの裏手あたりになるのかなぁ。居酒屋が数軒入ってるビルがあって、渋谷でライブをするとその辺でよく打ち上げをやってたんだよ。

段々思い出してきたぞ。石丸のLINEには「打ち上げが100人とかになっちゃって」とあったけど、店になんとか入れたのが100人とか120人だったはず。でも実際は150人くらいいたんだよ、確か。ライブ動員が500~600人で打ち上げが150人って出席率高いなぁ。

リアルな知り合いでもないのに、ライブに来た人の3~4人に1人は打ち上げに出るってすごくない? でも当然に店には入りきれないので、あぶれてしまったお客さんたちには謝って引き取ってもらって打ち上げスタート。

座敷だけじゃ足りなくて、カウンターとかも借り切った打ち上げだったなぁ。どこ見てもギュウギュウ詰めで人が多すぎて店内は暑いし、ライブのフロア状態と変わらない密度での打ち上げだった。そう考えると、あの打ち上げがSNAIL RAMP史上でも「単独ライブでは人数No.1」だったのかもね。

このご時世では考えられないけど、あれはあれで楽しかったなぁ!

タケムラアキラ

竹村哲●1995年にスカパンクバンドSNAIL RAMPを結成。2000年にリリースしたアルバム『FRESH BRASH OLD MAN』でオリコン1位を獲得するなど、一時代を築く。バンド活動と並行し、2001年からキックボクシングを始め、2014年10月に43歳の年齢でNKBウェルター級チャンピオンに輝く。2015年12月12日には後楽園ホールにて引退試合を行なった。SNAIL RAMPは現在、“ほぼ活動休止”中。