「兄貴チバユウスケ逝く」タケムラ アキラ(SNAIL RAMP)『炎上くらいしてみたい』

連載・コラム

[2023/12/11 12:00]

1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!



7か月間、まったく書いてなかったコラムを書かざるを得ない出来事が起きちまった。

元thee michelle gun elephant、そして現The Birthdayのチバユウスケさんが2023年11月26日に亡くなった。
俺がこれを知ったのは公式発表のあった12月5日の昼、Xで見た誰かのポストだった。
「また変なデマか縁起でもない冗談を流しやがって」と素で思ったが、イヤな予感がして調べるとそれは信じたくもない真実だった。
「ウソだろ……」と自然に言葉が出てしまうショックの深さは、みなさんも同じだったと思う。

このコラムの冒頭で「チバユウスケさん」などと他人行儀に表現したが、実際のところ俺は「チバ君!」と呼んでいた。
歳は俺の3つ上だったから本来なら「チバさん」と呼ぶべきなんだろうが、俺ら世代のバンドマン同士って歳の上下があっても近い間柄の歳上は「〇〇君」と呼ぶ、子ども時代の延長みたいな感じで。
チバ君は「たけちゃん」と呼んでくれててさ。

初めて会ったのは1993年だか1994年、下北沢屋根裏で行われたカバーバンドライブだった。
俺はまだSNAIL RAMPをはじめる前で、下北の主・グレース君たちとARBかなんかのカバーをやり、
対バンにはピーズのハル君やカステラのトモ君、当時ピロウズだったケンイチロウ君たちもいたはず。
とにかくその界隈の人たちが、本来のバンドメンバーとは違うメンツでカバーバンドを組み、ライブをするイベントライブだったんだ。

そこにまだブレイク前のthee michelle gun elephantがいた。やってたのはTHEE HEADCOATSのカバーだったと思う。
正直THEE HEADCOATSには興味がなかったが、和やかよりのカバーイベントにおいて4人がぶっきらぼうに進めるライブがちょっと異様だったけどカッコよくもあったし、何よりほかのバンドはセッションバンドばかりだったにも関わらず、彼らだけがthee michelle gun elephantのメンバーだけでステージ立つ。それを観て、「仲良しか!」とツッコミたくなったのを覚えている。
ちなみにこの頃のミッシェルには、見てわかるほどの集客がなかったにも関わらず「場の空気に迎合はしない」、そんな意思を放っているようにもみえた。
ぶっちゃけこの頃のミッシェルはまだ有名じゃなかったんだ。が、それにも関わらず30年ほど経ってもそのステージが印象に残っているって、やっぱすげぇバンドだよな。

それからほどなくして、ミッシェルはどんどんデカいバンドになっていった。
俺は中途半端なバンドマンだったけど、下北周りをウロチョロしてみんなと遊んでいたので、そんななかでチバ君ともキチンと知り合い言葉を交わすようになっていった。
そして1995年にSNAIL RAMPをスタートさせ、1996年12月にインディーズでファーストアルバムをリリース。
そんな時期、下北でバッタリとチバ君に会った。
すると「おーたけちゃん!スネイル聴いたよ、かっこいいじゃん。アルバムリリースしたんでしょ? 聴かせてよ」と、嬉しいことを言ってくれた。
バンドマンが他バンドの音源を欲しいと言ってくれるのは、本当にいいと思ったときだ。
「もちろんですよ! CDとアナログ、どちらがいいですか?」「じゃあアナログがいいな」
そう言ってスネイルのファーストアルバム『A PIZZA ALREADY』のアナログ盤をもらってくれた。

まだ海のものとも山のものとも分からないSNAIL RAMPだったけど、あのチバ君がかっこいいと言ってくれた。
それが当時の俺たちをどんなに勇気づけてくれたか。
そして渋谷にライブハウス屋根裏が復活し、1997年だか1998年だかにはthee michelle gun elephantとSNAIL RAMPでライブも行った。
以降もフジテレビの音楽番組『FACTORY』やサマソニなど、ライブが一緒になる機会もちょいちょいあったし、誰かの打ち上げで一緒になるってこともあった。
俺がやってたラジオ番組『SNAIL RAMP竹村哲のオールナイトニッポン』にゲストで来てくれたこともあった。

特にお台場フジテレビのドデカいスタジオでLIVE収録をした、『FACTORY』は忘れられない。
先に出番を終えた俺はミッシェルを観ようと、フロアに降りた。しかしぎっしりのお客さんがいるので、スタジオ最後方に組まれた鉄骨の足場によじ登り、足をぶらぶらさせながらぶっとい音圧でドライブするミッシェル兄さんのライブを堪能した。

そして、堪能しながら絶望した。「俺たちは絶対にミッシェルに勝てない……」。

いや、まわりから見たら「そんなの当たり前じゃねーか!!」とお叱りを受けて当然なのだが、ライブバンドを自称する以上「下手くそかもしれないけど、ライブじゃ絶対に負けない」くらいの意気込みがないと、この世界じゃやっていけない。
それでもだ、ミッシェルのあのライブを見せつけられた日にゃあ「あぁ……、俺たちはなんてちっぽけなんだ」と完全に叩きのめされる。
それくらい素晴らしいバンドだった。

おまけにミッシェルがどんだけデカくなっても、チバ君の俺に対する態度はまったく変わらなかった。
偉ぶりもスカしたりもしない、顔を合わせればめちゃくちゃナチュラルに「おぉ、たけちゃん」と呼んでくれた。
俺からすると“下北沢”という地盤の自慢の兄貴分、それがチバ君だった。

そんな兄貴分が55で逝っちまった。どう考えたって早すぎる年齢なのに逝っちまった。
でもそんなのお構いなしに自分の人生を全うしたのも、チバ君らしいのかな。
訃報を聞いてやっと数日経った今では、そんなことも思う。

もしかしたら、そう思うことでその死を受け入れようとしているのかもしれないけどさ。
いつまで経っても自慢の兄貴分、それがチバユウスケだ。

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タケムラアキラ

竹村哲●1995年にスカパンクバンドSNAIL RAMPを結成。2000年にリリースしたアルバム『FRESH BRASH OLD MAN』でオリコン1位を獲得するなど、一時代を築く。バンド活動と並行し、2001年からキックボクシングを始め、2014年10月に43歳の年齢でNKBウェルター級チャンピオンに輝く。2015年12月12日には後楽園ホールにて引退試合を行なった。SNAIL RAMPは現在、“ほぼ活動休止”中。