マネージャーはテツラーノ③〜タケムラ アキラ(SNAIL RAMP)『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
皆さん、明けましておめでとうございます。このコラム、昨年はあまりに寡筆だったため、せめて年始くらいは早めに書こうと取り掛かっている次第でございます。ちょっと期間は空きましたが、マネージャー・テツラーノについての記述を。
これまでのSNAIL RAMPを振り返るにマネージャー・テツラーノの存在はとても重要で、彼女がいたからこそ1997~2002年のバンドの躍進があったといって間違いない。もちろん当時のバンドメンバーであるギター&ボーカルの米田(AKIO)とドラム&コーラスの石丸との関わりが“SNAIL RAMP”の核であるが、もうひとつの核、それがテツラーノだった。
俺にしてみるとメンバー3人でやるSNAIL RAMP、そしてテツラーノとやるSNAIL RAMPがあったように思える。曲やライブはメンバーと作り、SNAIL RAMPはテツラーノと作っていく、そんなイメージだ。バンドというのは常に細かい問題が付きまとうし、それに対する愚痴も出る。そんなのも彼女は一切さえぎることなく常に聞いてくれ、そしてバンドを進めていった。
彼女は俺のひとつ歳上で、自らがメインで担当するバンドはおそらくスネイルが初めてだったはずだ。しかし今振り返っても不思議なほど、バンドをコントロールしてくれたと思う。レコード会社や媒体などのおじさんたちに対し、20代後半の彼女が半分怒鳴りながら意見したりもしていたので、おじさんたちからは恐れられていたようだが、バンドと対立したことは一度たりともなかった。
もちろんバンドに対して厳しい意見や怒りをみせたこともあったはずだが、それは納得できる内容であり、不満に思ったことはなかった。ちなみにスネイルがテツラーノから一番怒られたのは、アルバム『FRESH BRASH OLDMAN』レコーディング時だった。
先行シングル『B.M.W』リリースを控え超絶忙しい時期でもあり、連日深夜までのレコーディングに俺たちメンバーは疲労困憊の毎日だった。夕飯は出前を取るのが日課であり、通常は中華系やらどんぶり物といったメニューだったが、冗談で言った「たまには鰻でも食べちゃう?!」の俺か米田のひと言から、「俺たち、毎日がんばってるよな」「身体ももうグッタリだ」「鰻はバテにもいいらしいぜ?」などと【俺たちが鰻を食べるべき正当な理由】を次々とテツラーノにぶつけ、遂には鰻の出前をとることに成功した。なおこの食費は経費としてマネジメント事務所が負担する。高い出費だったと思うが、鰻を食べた俺たちはその栄養よりも“鰻を食べた”という謎の高揚感に包まれ、
その日のレコーディングをバッチリ乗り切った。
それから数日後、鰻ドーピングの効果もすっかり薄れてしまったスネイルの3人は、
うわごとのように「う、鰻……」と呟きながらもレコーディングに取り組んでいた。そしてマネージャー・テツラーノがレコーディングスタジオに姿を見せなかったある日、「なあ……、今日は鰻じゃね?(竹村)」「うん……、鰻だね(米田)」「鰻だと思います(石丸)」という満場一致で、2回目の鰻が決定。領収書だけもらっとけばあとで精算してもらえるなとの目論見で、俺たちは数日ぶり2回目の鰻をドーピングした。
その数時間後、別の仕事を終えてスタジオにきたテツラーノが空になって積まれた重箱を見て、叫んだ。
「ちょっと! あんたたち、また鰻取ったの? いい加減にしなさい! 自分らで払いなさいよ!!」
俺がラジオの生放送中に局の60万円もするビンテージマイクを壊してしまったり、米田が『HEY!HEY!HEY!』の収録にギターを忘れたりしたときもまったく怒らなかったテツラーノが、唯一大声をあげて俺たちを叱ったのは後にも先にもこのときだけだった。
あれ以来俺たちは1回も鰻を頼んでいないし、「鰻食べたいなぁ」と口にすることもなくなった。