スポブラデビューがほかの子より圧倒的に早かった理由【ぱいぱいでか美、桃色の半生!】第3回
「言うほどでかくないがそこそこでかい」おっぱいを武器に歌手、バラエティ、グラビアなどジャンルにとらわれず活躍するタレント・ぱいぱいでか美が自身の半生を初めて振り返る連載!
第3回:スポブラデビューがほかの子より圧倒的に早かった理由
続・小学生でか美はこんな子どもでした
こんにちは、ぱいぱいでか美です。いきなり私事ですが、先日5月3日に27歳になりました! 27歳で半生を振り返るコラムを書かせてもらえているの、改めてとてもありがたいことですね。ロックスターだとしたら近いうちに死ぬと思うんですけど、新しいロックスターの形を提示したいので普通に88歳くらいまで生きようと思います。
前回は小さい頃から好きな歌手の話をしましたが、そういやどんな子どもだったっけな?と思い出そうとしたときに、意外になんでもないことのほうが覚えてるもんだなとびっくりしました。今回はそんな小学生でか美の話を。
スポブラデビューがほかの子より圧倒的に早かった理由
ところでこの連載のヘッダー、めちゃくちゃおもしろくないですか? 第1回のときも少し触れたんですけど、小学校2年〜3年生の頃のものと記憶しています。写真を見てわかるように顔パンパン。このあと実はドンドン太っていくんです。健康優良児をこえて普通に肥満児。太り始める直前に行われたマラソン大会はかなり上位だったのに、翌年、翌々年とドンドン下がる順位とドンドン上がる体重! でも自分が太っているという自覚はありませんでした。
ある年の運動会に、二人三脚リレーという演目がありました。この演目は選抜ではなくクラス全員がペアになりリレーしていくもの。似た体格の生徒を先生がざっくりグループ分けして、そのなかでペアを作っていきました。そのとき、私は最初からペアが決まっていたんです。仲井さん(私の本名)はOさんと組もう!と。Oさんも同じくやや肥満児。その瞬間、やっと気づいたんです。
私、太ってるんだ!!!!!!!!!!!
と。あのときのショックったらないです。そうか私太ってるのか。太ってたんだな。なんでお母さんもお父さんも教えてくれなかったんだよ。追い討ちをかけるように運動会当日、両親から「でかくて見つけやすい」のひと言。いや太ってんじゃんそれ!教えてくれよ! 確かにスポブラデビューが私だけ圧倒的に早かった。これを着けなさいと言われたからとりあえず着けてた。でもまさか太っていただなんて。
その日から当時はあまり好きじゃなかった牛乳をめちゃくちゃ飲んで、とりあえず低かった身長を伸ばすことにしました。その間ちょっと運動もして脂肪を筋肉に変えて、体重は変わらなかったので痩せることができました。しかも痩せて気づいたけど、明らかにほかの子より胸がでかくて、当時は思春期にもギリギリさしかかってないですし、私のおっぱいデケー(笑)!と、かなりウケてました。そういやOさんもその後痩せていったので絶対に同じショックがあったんだろうなぁ(笑)。
この二人三脚でデブ自覚→結果おっぱいが残るっていうの、本当にしょうもない話なんですけど、「ぱいぱいでか美」を語る上ではある意味外せないエピソードなんで書きました(笑)!
「帰りの会」を早く終わらせたくて学級委員に立候補
小学生の頃の私がどんな子どもだったのか端的に言うと、活発な子だったと思います。外で遊ぶのも好きだし、勉強も好きだったし。給食を食べるのだけは異様に遅かったと記憶してますが、それも特に気にしておらず気づけば直っていました。
高学年になってからは学級委員をやっていました。しかしそれはクラスのイニシアチブを取りたい!とかではなく、今日この時間に学級委員を決めなきゃ埒(らち)があかない、今話し合いしなきゃもっと面倒になる、というあの「帰りの会」独特の重たい空気を打開したい気持ちやとにかくマジで早く帰りたい、早く帰ってそろばん行ってお兄ちゃんとエヴァ観たいという気持ちから、立候補していました。
この頃からそういうタイミングで自分が割を食うことに対して折り合いをつけられるタイプだったのかもしれません。というか、子ども特有の人前に出ることで向けられる冷ややかな視線以上に、場が円滑に進まないことのほうがよっぽど苦痛でした。普通の子でしたが、この学級委員の件に関しては今思えばやたら達観しているというか、中心に立ちたくてやっていたわけではなかったので覚えています。
子どもでも大人でもそうなんですけど「仕切る」って、主導権が意外になくて、でもちょっと責任は持たされるんですよね。それは今現在トークイベントをやるときにも感じていて、結局それって正直美味しいポジションではないのです。なぜならおもしろおかしく印象に残るのは、仕切る人よりも自由に発言する人だから。でも問題発言があったときには、会話に参入していたようにどうしても思われてしまう。
ここまでなんのかんのと書いてきましたが、まぁそもそも目立ちたがりですし、学級委員が向いていたってことだと思いますね(笑)。それに最初の動機はある意味不純でも、学級委員とかやってるとクラス全員と関わるので、そういう部分は本当にやっていてよかったなぁとどの時代も思います。クラスのなかで1年間喋ることなかったなーって子が立場上ひとりもいなかったのは、学級委員をやる1番の利点だと当時から思っていました。
当時から完全に今の私になってる!
余談ですが、学級委員は男女ひとりずつの選出だったので、ペアになる男の子がいました。そのときペアになった別府くんとは学級委員のおかげでちょっと仲良くなったおかげもあり、中学にあがってから家庭科の授業で毎回ボビンのセッティングをやってもらっていました。私は手先が本当に不器用でして……学級委員をやってなかったら別府くんにこっそりボビンセッティングしてもらうこともなかったかと思うと、本当にやっていてよかったです(笑)。
改めて書いてみると仕切ったり胸でかかったり、当時からもう完全に今の私になってて笑っちゃいますね。もうちょっと捻った感じの「こんな一面も?!」みたいなの、書きたかったですよ。変わらなさすぎる!
次回からは中学生編! 中学生からは屈折していくので、期待しててください!(笑)