波乱の高3……辛い時期を乗り越えることができた理由【ぱいぱいでか美、桃色の半生!】第9回

連載・コラム

[2018/8/6 12:00]

「言うほどでかくないがそこそこでかい」おっぱいを武器に歌手、バラエティ、グラビアなどジャンルにとらわれず活躍するタレント・ぱいぱいでか美が自身の半生を初めて振り返る連載!


第9回:波乱の高3……辛い時期を乗り越えることができた理由


精神的支柱だった先輩の卒業……いよいよ3年生に進級

こんにちは、ぱいぱいでか美です。高校編に入ってから、高校の友達からめっちゃ連絡が来ます(笑)。ありがたい話です! 今年のお盆は三重に帰れなさそうなので、少し恋しいですね。

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友達にも部活にも恵まれハロプロにも出会い、順風満帆に見えた高校生活ですが、辛いことがなかったわけではありませんでした。

前回(※第8回参照)登場したハロプロを教えてくれた先輩とは本当に仲がよくて、異性として好きな人ではあるものの人としてかなり信頼もしていて、好きであること以外はなんでも話していました。いつの間にか精神的支柱にしていたのです。

しかし相手は先輩。当然卒業の時は来るわけで。1年早く卒業した先輩は三重を離れました。電話やメールで連絡をとり続けていましたが、なんでも話せる相手が突然生活からいなくなってしまったことは、高校生の私にとっては大ダメージでした。

信頼している友達ももちろんいましたが、先輩の卒業とともに私たちはいよいよ3年生になります。みんなが本格的な受験勉強を始めるのです。私は2年生の進路相談の時点で、専門学校に進み上京することを決めていたので、ガチの受験勉強からは1歩引いている存在でした。そもそも、室長などの学級委員的役割も「みんなは勉強をのびのびしてくれ! 雑務は俺がなんとかする!」という気持ちでやっていた私です。自分がみんなの受験勉強のストレスになったらどうしよう……というストレスを強く感じるようになりました。この悩みも、みんなの受験に比べたら大したことがなさすぎて誰にも言えずにいました。

もともと朝は弱いので遅刻は多いほうだったのですが(本当にすみません)、みんなの邪魔をしたくないから行きたくないという歪んだ気持ちを持つようになりました。誰にも邪魔とか言われてないのに! こうして勝手に塞ぎ込んでしまった私は、眠れなくなったり、ひどく落ち込むようになってしまいました。見かねた母がメンタルクリニックへ連れて行ってくれた結果は鬱病。精神安定剤や睡眠薬を処方されたときはまさか自分が精神疾患だなんて思っていなかったので、結構ショックでした。

まわりの協力のおかげで徐々に気持ちが楽になった

夏になり、私の志望校にはAO入試があったので、それを終えてからは余計に落ち込みやすくなっていました。自分の進路に迷いはなかったけど、みんなはまだまだ受験勉強真っ只中です。その苦しみをすべては理解できないし、分けてもらうこともできない自分が心底嫌でした。当時の私はこと受験に関して本当におかしくなっちゃっていて、友達の模試の判定結果をバカにした人に対して本人以上にキレてしまったりしていました。

そんなときに、同じく美大の受験を夏に終えてしまった新田ちゃん(仮名)と仲よくなり始めました。新田ちゃんも私同様、先に受験が終わったことに後ろめたさを感じていたのでした。いつも仲のよかったみんなから離れたわけではないけど、みんなが勉強モードのときはお互い一緒にいることでかなり気持ちが楽になりました。「みんなの勉強を邪魔しないためには、消えなくてはならない!」という考えになり心が蝕まれていた私ですが、新田ちゃんとなんでもない話をすることで「あ、別に邪魔にならないようにいたらいいんだ」と気づくことができました。いや、当たり前すぎる! 病というものは恐ろしくて、視野がめちゃくちゃ狭くなっていたのです。

しかしひとつ解決策が見つかってからは「これも病気だからか?」と開き直るようになって深く考えすぎないようになり、症状ともお薬ともうまく付き合えるようになりました。両親が担任の先生にも連絡をしてくれていたので、症状が重たいときは保健室を利用したり、授業の出席日数をカウントして「辛かったら次のコマは休んでも大丈夫!」なんて声をかけてくれたりして、そういうひとつひとつのおかげで薬の数も減っていきました。

今はお薬も飲んでいなくて健康そのものなんですが、結果論として鬱病にはなっておいてよかったのかもなーとすら思います。今だから言える、本当に本当に辛かったけれど! 経験したからすべてがわかるわけでは決してないですが、同じように悩む方の苦しい気持ちに少しでも寄り添えるような活動ができたらいいなと思います。今私が元気にしてる姿を見て希望を持ってもらえたら嬉しいです。

大人になってから、当時の話を友達としたことがあります。「心配するとそれが負荷になるから静観してたけど、新田ちゃんと仲よくなり始めたときはマジで安心した」と言われたときは友達のお見通し具合に脱帽しました。あと、今思えば保健室にもさりげなくついて来てくれてたりしたんですよね。昔も今もお世話になりまくっております……。

ライブハウスにいるときは暗い気持ちを忘れることができた

高校はアルバイト禁止でしたが、実はこっそり地元のお寿司屋さんでお小遣いを稼いでいました。回らないお寿司屋さんだったのでいろんな経験ができて楽しかったですし、自分で働いたお金を得るのは単純に嬉しかったです。

そのお小遣いを持って休日や放課後はよくライブハウスへ遊びに行っていました。名古屋まで行ってお昼はハロプロのコンサート、そしてハロプロショップ(まだ名古屋駅方面にあった頃)でお買い物をし、パッセで三重にはないブランドの服を買って、それらを全部コインロッカーに詰めてバンドTシャツに着替えて夜はライブハウスへ。……みたいな休日をよく過ごしていました。

地元の三重にもライブハウスがありました。とくに松阪MAX'Aというライブハウスには、3年間で何100回行ったかわかりません。メロコアのバンドをたくさん知ったのも松阪MAX'Aのおかげだし、鬱病がひどかった時期も松阪MAX'Aでは暗い気持ちを忘れることができました。当時観ていたバンドの方々にお会いすると、命の恩人に会ったような気持ちにすらなります(笑)。あのとき暗い気持ちのまま放課後ライブハウスに寄らず、真っすぐ家路についていたら途中で死んでいたかもしれないですからね。

振り返ってみると友人、部活、先生、ハロプロ、それにバイト先も優しかったし、ライブハウスでの音楽にも出会えたし、やっぱり恵まれた高校生活なのでした。自分の人生のなかでも、高校生活の3年間はあらゆる面でキーになることばかりでした。卒業してからもう9年も経ちましたが、津高校に入学してよかったなぁと今でも思います。

高校のいわゆる「いつめん」で撮ったプリクラです。卒業後だけど5年前だからさすがに若いな! ノリでギャルっぽいこと書いたの今になって恥ずかしいですね、、!

著者紹介

ぱいぱいでか美
1991年5月3日生まれ、三重県出身。牡牛座O型、桃色の女。名乗るほどでかくないがそこそこでかいおっぱいを武器に、テレビやグラビア、ライブにDJ、もはやおっぱい関係ない執筆業など、縦横無尽に活動中。

【近況】
ここに何書こうかなーっていつも悩むのですが、今はシンプルに太っててヤバいです。痩せなきゃいけないんですけどめちゃくちゃ焼き肉食べたくてどうしよ!

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[ぱいぱいでか美]