歌手になる夢を追うため、三重を飛び出し東京へ【ぱいぱいでか美、桃色の半生!】第10回
「言うほどでかくないがそこそこでかい」おっぱいを武器に歌手、バラエティ、グラビアなどジャンルにとらわれず活躍するタレント・ぱいぱいでか美が自身の半生を初めて振り返る連載!
第10回:歌手になる夢を追うため、三重を飛び出し東京へ
ついに三重を飛び出し東京へ……
こんにちは、ぱいぱいでか美です。先日、主催イベントで吉川友さんとツーマンライブを行いました。『耳マン』編集部の方々も来てくださってお花まで贈ってくださって嬉しかったです。ありがとうございます! そのときに締め切りがんばりますって言ったのに、あはは……何わろとんねん。がんばります! というわけで今回からはいろいろあった三重県を飛び出します!
大好きな高校を卒業し、ついに上京のとき。ちなみに前回もチラリと書いた「みんなが受験勉強してるのに私は……」という心の病による屈折した考えにうまく向き合えた結果、センター試験の日に自動車学校に入学。上京2週間前くらいに無事免許を取得いたしました。みんなも勉強してるからなんか勉強しよーってことで免許取ってたのちょっとおもしろいですよね……やっぱちょっと病んでんじゃねーかっていう(笑)。
そんなわけで普通自動車運転免許(マニュアル!すごいだろ!)とほんの少しの不安を握りしめて東京へ。両親が車で何時間もかけて送ってくれました。ニトリで家具や寝具を少し買って、適当に入ったお店でしゃぶしゃぶを食べて、初めてのひとり暮らしをするレオパレスへ。
「ちゃんとご飯食べるんよ」
「ひとりで朝起きれるんか?」
「戸締り確認もしなさいよ」
「何かあったらすぐ電話しなよ」
親が言いそうなことランキングに並ぶであろうことをすべて言って、両親は三重県へ帰っていきました。そしてもう一言、いや二言三言くらい?私に伝えてくれました。
「とりあえず30歳までは好きにしてみな。30すぎてアカンかったら、諦めて三重県で就職しなさい」
わかった、ほなね~と言いながら見送る私の顔がうまく笑えていたかは両親にしかわからないけど、私だってあのときの両親の寂しそうな顔は一生忘れられないだろうなぁ。親孝行ってひとり立ちすることももちろん含まれるだろうけど、近くにいることが1番の親孝行なのかもしれないなって、離れた瞬間に思いました。そういう意味では今日から親不孝が始まるんだな。親不孝をしてまでも自分の夢を追うんだから、絶対叶えないといけないと改めて思いました。
私は若い頃は(今も若いですけど!)とにかく根拠のない自信がめちゃくちゃあって、自分は絶対に成功すると思ってたんです。だからこのときだってもちろん、自信満々でした。でもそこに「叶えなきゃ!」って気持ちが加わったのは間違いなく両親のこの言葉のおかげでした。
歌手になる夢を追うため、音楽の専門学校に入学
上京とともに、音楽の専門学校に入学しました。日本工学院の八王子のほうのキャンパスです。なので正式名称は日本工学院八王子専門学校。いろんな専門学校を調べてみたけど、三重からいきなり渋谷とか新宿に出るのがどうしても怖くて八王子から慣らしていこうかな、と(笑)。オープンキャンパスにも何度か訪れて、素敵な学校だし施設もしっかりしていて先生もおもしろくて、ここに決めました。ミュージックアーティスト科ボーカルコースに入り、毎日ボイトレや作詞作曲の勉強。ピアノは習っていたけれど、音楽を理論的に学んでいくことはこれが初めて。勉強を目的ではなく手段として取り組むのも初めてだったから、毎日新鮮で楽しかったです。
高校の軽音部では歌が上手いともてはやされた私も、専門学校では普通。自分より歌が上手い子もたくさんいてその子ですら怒られたりしていて、私ももちろんめちゃくちゃ怒られていて、でもそれがすごく楽しくて嬉しかったです。
毎日が希望に満ちあふれ……るかと思いきや、そうもいきませんでした。真面目な子と不真面目な子の差が気になっちゃって……。義務教育と違って好きなことを学ぶためにある学校で、不真面目な態度で取り組む人が少しでもいること自体、めちゃくちゃショックでした。真面目な子のなかでも、例えばオーディション直前にわざと曲を被せてきたりとかちょっと意地悪な子もいたりして。ごく一部だし、今思えばそんなこと気にしなければいいんですけど……。
当たり前だけど、同じ夢を追う以上全員ライバルなんですよね。ここで同級生たちとともに夢を追い、切磋琢磨するんだ!というピュアっピュアな気持ちで上京しちゃったので、現実を突きつけられた気がしました。だからここでは仲良しこよしを過剰に夢見るのはやめて、学ぶべきことを学ぼうと! 同じボーカルコースでたまに行動をともにしたりご飯に誘ってくれたり気にかけてくれる子ももちろんいましたが、家でできる課題なんかは持ち帰ってやることが多かったです。そのおかげで、授業によっては出席日数がやばかったりもしたんですが……(笑)。この話はまたいつかします!
作曲は“できない”んじゃなくて、やるかやらないか!
専門学校にはいろんなコースがあって、どちらかと言うとクリエイター系のコースの子たちのほうが気が合いました。ライバル関係でもないから楽で、授業もたまに一緒になるし、友達と呼べる人もそっちのほうが多かったかな。特に作曲や編曲コースの子たちとは音楽ソフトの使い方を教えてもらったり、そのお礼にコンペに出す曲の仮歌を入れたり、音楽の専門学校らしい、いい関係だったなーと思います。
今では自分の楽曲は半分くらい作詞作曲をしていますが、実は専門学校に入るまではチンプンカンプンでした。特に作曲! 積極的に挑戦するようになったのは授業や先生のおかげももちろんあるけど、前述のクリエイター系コースの友達の存在も大きかったですね。才能とかセンスとかいろいろあるけど、作曲は“できない”んじゃなくて、やるかやらないかなので。仕事にしたいのならなおさら! 友達は常にコンペの締め切りを気にしていましたから。そんな友達を見ていると「やるしかねぇんだよな~」と思い、やってるうちに楽しくなっちゃって、今に至ります。
専門学校はとても広いキャンパスに建っていて、同じ敷地内に東京工科大学もありました。高校でのたくさんの信頼できる友人やクラスメイトたちの出会いを通して、人と交わることで自分の世界が広がることを知った私。専門学校の人とも大学の人とも関われそうだから、というのもこの専門を選んだ理由でした。そして、専門学校ではなく大学のほうの軽音部に入部することにしました。ここでついに“あの名前”と出会うのです。
というわけで次回『ぱいぱいでか美、爆誕!』。長くなるので引っ張りますね。いよいよ桃色の半生感、出てきました。