音楽とサークル活動に明け暮れた時期、そして「ぱいぱいでか美」の名がついた瞬間【ぱいぱいでか美、桃色の半生!】第11回
「言うほどでかくないがそこそこでかい」おっぱいを武器に歌手、バラエティ、グラビアなどジャンルにとらわれず活躍するタレント・ぱいぱいでか美が自身の半生を初めて振り返る連載!
第11回:音楽とサークル活動に明け暮れた時期、そして「ぱいぱいでか美」の名がついた瞬間
専門学校生でありながら大学の軽音部に入部
こんにちは、ぱいぱいでか美です。自宅で原稿を書くのがなかなか苦手なので、大体ガストで書いています。ガストは「行く」というより「受け入れてくれる」感じがします。なのでガストに行くことを独自に「ガ受」(読み:ガジュ)と呼んでいます。全然意味わかんないですよね。でもガ受はガ受なんで……。
専門学校に入った私は、同じ敷地内にある大学のサークルに入ります。サークルというか“軽音部”でした。いまだに理由はわからないんですけど、軽音サークルというと「いや、軽音部だから」って言う先輩が多かったです。何でだろう~。
軽音部の先輩方はとても大人に見えました。というか、同期も含め大学には本当にいろんな人がいるんだと実感しました。高校入学当時にも感じた世界が広がっていく感覚がまた訪れて、すごく嬉しかったのを覚えています。そして部室で行われる新歓ライブと新入生歓迎会に行ってみて、チャラい感じの人もいるけどほとんどの先輩が優しくて面白くて演奏もかっこよかったので、軽音部に入ることにしました。あとで判明したのですが、そのときのチャラい人は部員でもなんでもなかったみたいです(笑)。誰だったんだよ。
専門学校生でありながら大学の軽音部に入る同期は私含めふたりしかいませんでした。しかし週に1度ミーティングがあり、そのあとは大体何人かにわかれて先輩の家へお邪魔してたりしたので、仲良くなるのにそう時間はかからなかったです。そうそう、たまに私のSNSに登場するマックスむらいさんのもとで働いているAppBankの“りおなり”とは同期なんですよ。東京でできた1番最初の友人です。
「ぱいぱいでか美」の名がついた瞬間
今はSNS大航海時代!って感じですが、当時はTwitterもInstagramも流行ってなくて、私なんか登録すらしてませんでした。その代わり大流行していたのがmixi! そんなmixiにある日こんなことを呟いたんです。
「私もあだ名欲しいなー!」
中学校時代、前山(※第5回参照)に「仲井」と呼ばれ始めてからみーーーーんな私のことは「仲井」だったんです。女子は「優希」って呼ぶ人もいるけど。愛称のない人生だったから、気軽に呼べるあだ名のある人が本当に羨ましくって。すると、当時の軽音部の部長からコメントが。
「ぱいぱいでか美」
は? ……何ていい名前なんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!
完全にしっくりきてしまいました。
というのも、先輩たちと遊んでるときに「もしかして胸が大きいのでは?」とよくからかわれていたのです。それをそのまま名前にしてしまうセンス。声に出して言いたくなる響きとリズムと収まりの良い字面。確かそのときは「ワロタですw」とか返したような気がするんですけど、内心めちゃくちゃ気に入ってました。よく考えると、というかよく考えなくても、胸が大きいことをからかわれるのも冗談半分で名付けられるのも、明らかにセクハラなんですけど(笑)、名前を気に入った私にはなんの問題もありませんでした。マジ、ほかの子だったら大問題になってたと思いますよ、先輩(笑)!
どうしてこんなに「ぱいぱいでか美」をすんなり受け入れられたのか。それはあだ名への憧れもあるけれど、実はそれまでのコンプレックスも大きく関係していて。私は、実は胸が大きいことが嫌だったんです。なぜなら顔が可愛くないという自覚がめちゃくちゃあったから。それも今よりももっともっと卑屈なテンションで! 顔が可愛くない人が胸が大きいと気持ち悪いんじゃないかと思っていました。目立たないように、服もダボっとしたものばかり選んでいたし。
そんな人生で、初めて親以外の人間に真正面から「胸でかいよね!?」といじられ「ぱいぱいでか美」と名付けられ。その瞬間、おそらく紙一重のところで自分のコンプレックスがキャラクターになり、それはそれは誇らしいチャームポイントとなったのです。それからはボディラインがわかるような服も自分が着たいと思えば買うようになったし、胸が大きいことはなんにも気持ち悪いことなんてない私の個性なんだと思えるようになりました。
とはいえ、今では心身ともに馴染んだこの名前も初登場は相当の衝撃。私自身は気に入っていたのですが、せっかく先輩が名付けてくれたのにやはり呼びづらいせいか浸透せず、結局「仲井」って呼ばれていました(笑)。なので名乗るようになるのはもう少しあとの話。ぱいぱいでか美誕生秘話、あとちょっと引っ張らせてください(笑)!
メロコアやJ-POP、ハロプロに明け暮れていた私が衝撃を受けたバンド
ひとつのコピバンを組んで長く活動する高校の軽音部とは違い、大学の軽音部は企画ごとにバンドを組み直すシステムでした。月に1度部室で行う“部室ライブ”や、年に何度か“審査”という投票制のライブ、そこで上位になったバンドがライブハウスでライブをする“定期演奏会”(略して定演)があったり。夏と冬には合宿もあって、そこでも合宿限定のバンドを組んだりしていましたね。秋には文化祭もありました。そんな形をとっていたので、本当にみんなにお世話になりましたし、楽しく仲良く過ごせました。たまにケンカもしたけど。いろんなコピバンを組むからいろんな音楽を知ることもできました。
思い出はたくさんありますが、なかでも印象的なのは入部してすぐに先輩たちのSpangle call Lilli Lineのコピバンを観たとき。それまで三重県でJ-POPとハロプロとメロコアに明け暮れていた私は、バンドというものはすべてBPMが速い!と思い込んでいたのです。速ければ速いほどいいバンド!くらいの勢い。ハーフパンツ履いてダイブできなきゃライブじゃない、みたいな。普通に好きなバンドもゆったりした曲やってるんですけどね。その存在忘れてたんかな(笑)。
そんな調子だったので、Spangle call Lilli Lineの曲を聴いたとき(正確には先輩のコピバンですが)、
「え?! BPMが! こーんなに遅いのに! いい曲!」
ってめちゃくちゃびっくりして。事実をなるべく温度感伝わりやすく書けば書くほど、バカなのがバレてしまいますが……。でもマジでめちゃくちゃ感動したんですよ。これと同種の感動は、軽音部にいた2年間、まわりの方々によって何度も与えてもらいました。企画ごとのコピバンはもちろん、遊んでもらうたびに、先輩方には本当にいろんな音楽を教えていただいて。未完成VS新世界とか、toeとか、土岐麻子とか、ハイスイノナサとか、MALICE MIZERとか。たくさんたくさんCDを貸してもらいました。
今思えば私がキャッチしてなかっただけですが、三重県にいる間、「三重には文化が届いてきてねぇ!」っていうモヤモヤがずっとあったので……(笑)。東京に出てきていろんな音楽を知って、最高の毎日……
の、はずでした。