“ぱいぱいでか美”本格始動!〜波乱万丈のバンド生活〜【ぱいぱいでか美、桃色の半生!】第13回

連載・コラム

[2018/10/1 12:00]

「言うほどでかくないがそこそこでかい」おっぱいを武器に歌手、バラエティ、グラビアなどジャンルにとらわれず活躍するタレント・ぱいぱいでか美が自身の半生を初めて振り返る連載!


第13回:“ぱいぱいでか美”本格始動!〜波乱万丈のバンド生活〜


ぱいぱいでか美、本格始動!

こんにちは、ぱいぱいでか美です! “吉川友にぱいぱいでか美”という名前できっかとコラボさせてもらいました。9月12日から配信された『最高のオンナ』、好評でとても嬉しいです! 『耳マン』でも取材していただいたのでぜひ読んでくださいね。

<耳マンのそのほかの記事>

前回までで語った専門学校在学中、実はひとつ大きなことがありました。それがバンド結成。普段から仲良く遊んでくれていたサークルの先輩が誘ってくれて、軽音部活動とは別のバンド活動を始めたんです。担当はキーボードボーカル。キーボードはほとんど弾いてませんでしたけど(笑)。サークル内でも演奏がうまくて、お話もおもしろくて、ラーメン二郎にも食べに連れてってくれる先輩が声をかけてくれたことが嬉しくって、ふたつ返事でOKしました!

初ライブに向けてオリジナル曲も制作し、ホームページも開設。確認しといてね、と言われたのでホームページを開くと……。

「キーボードボーカル/ぱいぱいでか美」

……そうです!!! あの、気に入ったけれども浸透しなかったあだ名が記載されているではありませんか!!! 実は、名付け親の先輩もメンバーにいたのです。ほかのみんなもふざけた芸名で、全部その先輩が考えてくれていたのでした。いよいよ“ぱいぱいでか美”としての生活が始まります。私はバンド活動とともにSNSのユーザーネームもぱいぱいでか美に変更し、この名前でやっていく覚悟と喜びを感じていました。ちなみにバンドの方向性は意外にもプログレ系! 衣装や芸名とライブ演出、曲のタイトルは全力でふざけて、中身はめっちゃ真面目というなんともアンバランスなバンドでした。そこが自分たちの魅力だったと思います!

しかし、世間にはその魅力がまったく伝わらず(笑)、ノルマを払いながらライブを重ねる日々。CDを自主制作でリリースしたり自主企画イベントを開催したり、活動自体はとても楽しかったですが、自分たちの負担はとても大きかったです。ところで、定期的にバンドとライブハウスにおけるノルマ問題ってネットで盛り上がりますよね。確かにいろいろ思うところはありますが、ライブハウスを運営するうえで仕方のないことなのかなーとも思います。まぁ、ほかの形を提示したほうがお互いにいいのかもしれませんけど。実際、びっくりするくらいお客さん呼べてませんでしたからね、私たち。

ライブ活動のほかには、ニコニコ生放送(以下、ニコ生)でも活動してました。当時、神聖かまってちゃんがネットを使ったプロモーションですごく話題になってて、曲も好きで聴いてたんです。ぶっちゃけ完全にそれをパクってニコ生を始めました。その流れで生配信にハマっていて、バンドのチャンネル以外でも個人で放送してました。最近になって「あの頃の放送観てましたよ!」とこっそり言ってくれる方がいて嬉しいやら恥ずかしいやら。ちょっと忘れてほしいかも(笑)。

今ではそんな“神聖かまってちゃんさん”と同じ事務所に入って活動してるんですから人生不思議ですね。しかもボーカル・の子さんに初めてご挨拶したとき、「昔ニコ生してたでしょ?」って言われて……! はい、ちょっと忘れてほしいかもです(笑)。

そして専門学校をなんとかかんとか卒業し、先輩たちもみんな2歳上だったので同じタイミングで大学を卒業。ここから本腰を入れてバンド活動を始めるぞ!とメンバー全員で覚悟のフリーター生活の始まりです。

八王子を離れ下北沢へ……波乱万丈のバンド生活

2年間慣れ親しんだ八王子を離れ、バンドといえば下北沢やろ!とお引越し。このタイミングでバリバリの三重弁のなまりも意図的にとり(笑)、絶対このバンドで売れてやる!と気合いも十分。相変わらずノルマを払いながらライブをやっていましたが、根拠のない自信だけはありました。

そして下北沢で初めての夏を迎えた頃、メンバーから話があると呼び出されました。就職をしたいので脱退したい、とのことでした。かなり辛い申し出でしたが、それが本人の決断。ニコ生活動が身を結んで少しずつですがお客さんが来てくれるようになった頃だったので、脱退ライブは仲のいいバンドを呼んで自主企画イベントで終え、華々しく送り出そう!と決めました。憧れのライブハウス・下北沢ERAを年末におさえ、まずはそこに向けてがんばっていこう、次のメンバーも探そう、と前向きに動き始めました。この頃にはもう根拠のない自信ではなくて、活動を経たからこそ自分たちの曲に自信がありましたから。

しかし、ほどなくして別のメンバーのひとりと連絡が途絶え始めました。次のスタジオいつにするー?と聞いても、このライブは出るー?と聞いてもうんともすんとも。生存確認はできていたので本当に返事がないだけ。結論から言うと、パチンコにハマって失踪してしまったのでした。

話し合うこともなく、脱退ライブの前に別のメンバーが脱退。もうやるせなくて悲しくてどうしようもなかったです。でも決まってるライブもあるし、きちんと送り出したいメンバーもいるので、私の1歳下の後輩をサポートメンバーに入れて最後のライブまではひとまずがんばることにしました。

そしてもうひとりの、私の名付け親でもある先輩は、そのタイミングで別のバンドにメンバーとして誘われてそちらへ加入することに。こんな状況になってしまったので、最後のライブでバンドも解散することにしました。私はいつの間にかひとりになっていたのです。

ただここで注釈……というか言い訳したいことが。おもしろおかしく伝えるために、これまでのインタビューでも「メンバーがパチンコにハマって失踪からの解散」って言ってましたし今回もそう書きましたけど、それだけじゃないんですよね、絶対。前回(※第12回参照)の♡恋バナ♡回と同じで、時間が経って冷静になると、やっぱり私が暴君なんですよ(笑)。いやほんと笑いごとじゃないんですけど。何年か前の生誕ライブで実は1度だけこのバンドを再結成してまして、向こうが大人だったので仲直りできたけど、自分に原因がかなりあったなぁと思ってます。

しかし解散決定から解散直後までの私は本当にひどかったと思います。心に決めたバンドが解散するんですもん。やってらんないですよ! 自分も悪いんだけど、バンドに対してはとても愛情を持っていたので……。この頃のやさぐれかたったらなかったですよ(笑)。病むとかじゃなくて荒れてましたもん(笑)。

最後のライブは本当に楽しかったし、満員にはほど遠かったけどバンドを始めてから1番多くお客さんも来てくださりました。メンバーのことも本当に大好きだったし、これからもこのバンドのことは大切に想っていこうって心に刻んだけど……。解散してしまうくらいなら、もう2度と他人と音楽なんてやらない!というのも本音でした。

だから決めたんです。これからは“ぱいぱいでか美”としてソロでやって行こうって。

当時対バンで出会って今でも仲のいい、ベーシストだった女の子とのプリクラ。今では大親友ですが、初めてプライベートで遊んだときの距離感は今見ると笑えますね

著者紹介

ぱいぱいでか美
1991年5月3日生まれ、三重県出身。牡牛座O型、桃色の女。名乗るほどでかくないがそこそこでかいおっぱいを武器に、テレビやグラビア、ライブにDJ、もはやおっぱい関係ない執筆業など、縦横無尽に活動中。

【近況】
前も書いたんですけど、この連載を始めてから旧友がたくさん連絡をくれるんです。先日も高校のときの友達とバーレスク東京へ行きました。めちゃくちゃ楽しかったです。

ぱいぱいでか美の最新情報はオフィシャルサイトTwitterをチェック!

[ぱいぱいでか美]