音楽活動のターニングポイントになった師匠・大森靖子さんとの出会い【ぱいぱいでか美、桃色の半生!】第14回

連載・コラム

[2018/10/15 12:00]

「言うほどでかくないがそこそこでかい」おっぱいを武器に歌手、バラエティ、グラビアなどジャンルにとらわれず活躍するタレント・ぱいぱいでか美が自身の半生を初めて振り返る連載!


第14回:音楽活動のターニングポイントになった師匠・大森靖子さんとの出会い


ソロ活動の勇気をくれた師匠・大森靖子さんとの出会い

こんにちは! ぱいぱいでか美です。10月は夜に炭水化物をなるべく摂らない生活をしてみようと思ってます。「なるべく」「してみよう」、かなり曖昧ですがとりあえずがんばります(笑)! 二十歳すぎまではなんにも気にしてなかったのにな~……というわけで今回は食生活が無敵だった時期の話を。食生活のことは書きませんが。

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解散後のソロ活動を気にかけてくださる方はまわりにたくさんいました。というのも、何が発端かはいまだにわからないのですが「ぱいぱいでか美って変な名前の女の子がいるらしい」と当時の新宿motion(ライブハウス)界隈で話題になりちょっとだけTwitterのフォロワーが増える、という謎現象がバンド解散前のまだ平和だった夏に起きまして。

それからは憧れで聴いていたり、それこそ東京の軽音部で先輩たちがコピーしていたバンドマンたちと変な形で交流を持つことになり、私はバンド内で外交担当的なポジションだったこともあり、このチャンス逃してはならーん!とフォローしてくれたバンドのライブに足を運びまくりました。自分らのライブとは大違いの満員御礼のライブハウス、物販にもちゃんとCDやTシャツや缶バッチがあって、今までiPodのなかの人だったのに目の前にいるのが少し不思議な感覚がありました。みなさん本当に優しくって、可愛がってもらっていました。

実はそのなかに、現在進行形そして確実に未来永劫に師匠として崇めるシンガーソングライターの大森靖子さんもいらっしゃったのです。最初の出会いは上記のとおりTwitter。突然フォローされて「うわ!大森靖子やん! 『PINK』の大森靖子やんけ!」と即フォロー返し。すぐにDMをくれてたのですが、こちらが気づくのが遅すぎたため、直接ライブに足を運びました。初めて観た大森さんのライブは衝撃的で、初めて聴く曲もあるのにそんなのは全然関係なくて、気づけば私は泣いていました。1対1で歌ってくれる、時には代わりに叫んでくれているような音楽に、こんなにすごい人なんだってびっくりしたのを覚えています。

基本的に脳みそがヲタクなので、終演後物販でCDを買うときにやっとご挨拶。そのとき“水中、それは苦しい”のジョニー大蔵大臣さんとも初対面だったのに、隣で物販をやっていた彼がなぜか仲介してくれたのをよく覚えています(笑)。大森さんとの初対面はライブの衝撃もあって全然うまく話せなかったんですけど、その後ライブハウスで何度か会ううちに打ち解けていきました。それになんと言っても大森さんと私、ふたりの共通項はもちろん「ハロプロヲタク」! 当時、ハロプロ好きを公言している女性がお互いにまわりにいなかったので、スマイレージさんの『寒いね。』のリリースイベントにふたりで行ってからは、より親密になりました。

そんなこんなで、今までは雲の上の存在だと思っていた大森靖子さんはじめ、たくさんのバンドマンに可愛がってもらいつつ、それとこれとは話が別なのでバンドは解散(※第13回参照)。こんな気持ちになるのならもう他人と音楽をやりたくない!ひとりでやる!と思ったものの、解散直前まではそのへんの意思もなかなか不安定でした。ひとりでできるのかな?とか、そもそもひとりで何すればいいの?とか、今までメンバーに頼りっきりだった自分にも気づいて。でも、ひとりでギターと物販のキャリーケースを引きずって、音楽を武器に戦う大森靖子さんに出会い、私もひとりでもう少しやってみよう、って気持ちに切り替えることができました。

「楽器弾いてるより踊ってるときのほうが楽しそうだし可愛いよ」

バンドのラストライブ直後、友達が企画するイベントに誘ってくれました。持ち時間15分程度で、いろんな人がとにかく出まくるスタジオライブ。なんでもいいからやってみて!と言われたものの、ソロ名義の曲もないのでバンド時代の曲を弾き語り。でもひとりでできることに限界があったので、時間を埋めるためにハロプロの曲をかけて踊ってみました。実はこのパフォーマンスはバンド時代にもやっていたんです。とにかく人気がなかったのでとりあえずライブハウスの注目を集めるために、ライブ本編を始める前に私が出てきて踊る、メンバーもちょっとずつ出てきて踊るという奇行を起こしていたのでした(笑)。

ほんと、大好きなハロプロの曲を借りて何してんだって話なんですけど、そのときの私たちにはそれしかなかった(笑)! とまぁ、その延長的な感じでソロ初のライブでもハロプロの力を借りてみたところ、いい感じに盛り上がりまして。ハロプロありがとう~!なんてのんきに思ってたら、終演後いろんなバンドマンに言われたんです。

「楽器弾いてるより踊ってるときのほうが楽しそうだし可愛いよ」

まじかよーーーーー! そうです、私、弾き語りが圧倒的に向いていなかった。それは自分でも実感していて、練習しなきゃなぁとは思っていたのですが……。え、何。踊ってるとき楽しそうなんだ、私。知らなかったんですよ、自分が踊ってるときの顔。

そっか! じゃあアイドルみたいに、オリジナル曲をカラオケ音源で作って、歌って踊ればいいんだ! でも自分を「アイドル」と自称するのはおこがましすぎる……。そこで自分にキャッチコピーをつけました。

「歌って踊れるバンドウーマン・ぱいぱいでか美」

ソロ活動の始まりです!

大森さんとの出会いがなかったら、解散直後にイベントに呼んでもらえてなかったら。今日まで音楽を続けてこられなかっただろうなぁ。振り返ってみても、自分の人生は人との出会いとタイミングに恵まれているなぁとつくづく感じます。そしてその出会いやタイミングを掴むのは自分自身だから、我ながら「やるじゃん」って思ったり(笑)。

大森靖子さんは今でも私の大切で大好きな師匠。毎年大森さんの生誕祭に呼んでもらえるのが本当に嬉しいので、これからも弟子は頑張ります! 弟子、おかげさまで連載やるくらいにはなりましたよ(笑)! ちなみにその生誕祭のレギュラーメンバーが私と、あのとき仲介してくれたジョニー大蔵大臣さん。いかに大森靖子さんが人との縁を大切にしてくれてるかっていうのと、いかに私たちが大森靖子さんのことが好きすぎるのかっていうのが同時に証明されてますよね(笑)。いやー、いい話だな(笑)。

物販に置くものがなくて、ソロ活動当初はプリクラと、お客さんにプロフィール帳を配るという謎行為をしていました

著者紹介

ぱいぱいでか美
1991年5月3日生まれ、三重県出身。牡牛座O型、桃色の女。名乗るほどでかくないがそこそこでかいおっぱいを武器に、テレビやグラビア、ライブにDJ、もはやおっぱい関係ない執筆業など、縦横無尽に活動中。

【でか美のぼやき】
炭水化物を夜は控えよう!と思って逆に昼は食べてるんですけど、結果として食べる量増えてる気がして怖いです。

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[ぱいぱいでか美]