バイトをバックレまくってた“仲井優希”の生活、からの一大決心!【ぱいぱいでか美、桃色の半生!】第17回

連載・コラム

[2018/11/26 12:00]

「言うほどでかくないがそこそこでかい」おっぱいを武器に歌手、バラエティ、グラビアなどジャンルにとらわれず活躍するタレント・ぱいぱいでか美が自身の半生を初めて振り返る連載!


バイトをバックレまくってた“仲井優希”の生活、からの一大決心!


バイトをしてはバックレてた“仲井優希”の生活

こんにちは、ぱいぱいでか美です! もう今年もあとちょっとかーって感じるのはまだ早いですかね? でも本当に年々早く感じますわ、年月……。充実してる証拠ですね。とりあえず年内に汚部屋をなんとかしたいと思います。(毎年この時期は言ってる)

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さて、ここまで学生生活や師匠・大森靖子さんとの出会い、『有吉反省会』初出演のお話なんかを書いてきましたが“ぱいぱいでか美”ではない“仲井優希”の生活はというと、もう隙間を縫ってはバイト、バイト、バイトでした。

高校生のときも学校には内緒で地元の回らないお寿司屋さんでバイトをしていたし、専門学生のときも近所の薬局でバイトをしていました。それぞれ3年間、2年間と長く続いたんですよ。しかし、それは自分の肩書きが“学生”だったからかもしれません。専門学校を卒業後、音楽活動と並行して始まったバイトの日々。当時はぱいぱいでか美としての収入はほぼないので、職業としては“フリーター”以外のなんでもない。それが嫌で嫌でたまらなくて、それまでのようにひとつのバイトが続かなくなってしまいました。いわゆるバックラーってやつですね……。クズじゃねーか!

その頃のバイト遍歴は、最初は某ドラッグストア。接客態度に対するチェック項目が厳しすぎて2週間でバックれ。でも私は変なバランス感覚で真面目なところがあるのでバックれたくせに平気でバイト着のエプロンを返しに行きました。エプロン返すと500円もらえるし……。その次は映像教材の録画ボタンを押すバイト。なんだそれ?って感じですがそのまんまです。映像教材を録画するために、録画ボタンを押し、授業が終わったら停止ボタンを押す仕事。授業中に寝てしまうのでこれも1週間くらいでバックれ。

派遣系の仕事はその日ごとしかなくバックれの概念がないので、とても気が楽で暇なときはちょこちょこやってました。とくに試食販売やサンプル配布は割と向いてたかなぁ。いわゆるマネキンってやつですね。母の日前日にワインを売るマネキンのときは、これまでで1番売れたみたいで派遣会社からボーナスをもらいました(笑)。それからパン屋さん。パンが好きで始めて、実際に作業内容自体は楽しかったんですけど、職場の空気が悪すぎて……。そこそこ続いたんですけど、ある日突然「今日もまたあの人たちとパン生地こねるのか〜」と思った瞬間にバックれてしまいました。イートインスペースがあって、常連の内田裕也さんがよくそこで召し上がってましたね。で、絶対あんパンとホットコーヒーを購入されるんですよ。コーヒーメーカーが古すぎて豆の抽出に時間がかかるので、入り口に内田裕也さんがお見えになった時点でホットコーヒーのボタンを押す、というのがお店の軽いルールになってました(笑)。

飲食系だと居酒屋もやりました。ちょっとお上品な居酒屋でいろんな芸能人が来てましたね。そのとき優しかった方に、今お仕事とかでお会いできたりすると嬉しいですね! 鶴の恩返しばりに「あのとき優しくしてもらったバイトです……」という気持ちになります。ここは店長とかバイト仲間のことも好きだったけど、2代目の板前がすぐキレるので徐々にシフトを減らしてフェードアウト……。バックれよりタチが悪い気がします。みんな優しいので今でも連絡くれますがいまだになんとなく後ろめたいですね。下手したら籍残ってるんじゃないかな(笑)。

渋谷でオムライス屋さんもやりました。社割でオムライスが食べられるから、卵料理大好きになっちゃいました。このバイト先では初めて自分からぱいぱいでか美であることを告げたんです! 会話の流れで言わなきゃいけない感じになって、いざ言ったときのあのめちゃくちゃ変な空気、忘れられないですよ。超気まずかった。でも店長主催のバーベキューとかにも参加してて、初めてちゃんと人間関係も構築できてたかも。ぱいぱいでか美としての仕事が入ったときは、いつもみんなが快く代わってくれました。

こんなことをするために私は東京に出てきたんじゃない!

でも、こんなにいろいろやって、場所によってはバイト仲間と交流も持てていても、やっぱりどーーーしても、こんな生活は嫌だ!という気持ちがずーっとありました。タイムカードを押してタイムカードを切るまでの時間、こんな無駄な時間があるなら早く家に帰って曲を書くべきなのに……ってずっと考えていました。「お時間限定大特価です♪」と叫びながらサプリメントを売ったり、狭ーい教室で録画ボタンを押したり、足立区のスーパーでヤンキー相手にウインナー焼いて配ったり、火傷しながらカレーパン揚げたり、刺身盛り合わせの内容を説明したり、オムライス運びまくってレジ閉めをしたり、こんなことをするために私は東京に出てきたんじゃない!!!!!!!!!!!! 毎日そんなことばかり考えていました。

そんな日々のなかで突然『有吉反省会』に出演し、徐々にぱいぱいでか美としての収入が増え始めました。生活するにはまだまだだったけれど、急なオファーに対応できないとチャンスを逃してしまいます。それが怖くて私は一大決心をしました。

全然お金ないけど、バイト辞めちゃお!

オムライス屋さんは前述のとおり人間関係もよかったし、恩もある。それからもう2度とフリーターには戻りたくない。今までバックれまくってきた私ですが、これが最後のバイト先!と決めて、店長に辞める意思を告げ退職しました。最後くらいはちゃんとしたかった(笑)。そしてバイトを辞める日はフリーターじゃなくなる日。ある意味純度100パーセントのぱいぱいでか美になる日でもあります! 最後の出勤日は敬愛するつんく♂さんのお誕生日の10月29日にして、新しい自分のスタートにしました。

とはいえ、まじでノープラン・ノーフューチャーで辞めてしまったバイト。まじでがんばんないと普通に死んでしまうので、しばらくはオファーはなんでも受けました。ライブはもちろん、パリピが集まるEDMイベントにも出たし、一般のサラリーマン主催のトークイベントにも出たし。そうこうしているうちに、気づいたらカツカツながらも生活できるようになったので、あのとき勢いで辞めてみてよかったなぁと思います。

そしてなんとかかんとか美談にまとめようとしてますけど、いわゆる私は元バックラー。自分で言うのもなんですが、真面目な印象を持たれることが多いので、ほんと、アハハ。全然そんなことないんですよ、実は……。すみません……。

あ、わかった! 自分に責任が大きい仕事しかがんばれないタイプなんですよ、私! そう、そうです! だからバイトというものがそもそも向いてないっていうか、ほら。だからね、今の仕事がやっぱり1番向いてるなぁと感じます!

はぁ、綺麗にまとまってよかった。

バイトを辞めて1番最初のライブはバンド編成・ぱいぱいぱいチームとしてだったかな?多分。今はぱいぱいぱいチームも進化を遂げ“ぱいぱいでか美withメガエレファンツ”という名前になりました

著者紹介

ぱいぱいでか美
1991年5月3日生まれ、三重県出身。牡牛座O型、桃色の女。名乗るほどでかくないがそこそこでかいおっぱいを武器に、テレビやグラビア、ライブにDJ、もはやおっぱい関係ない執筆業など、縦横無尽に活動中。

【でか美のぼやき】
オムライス屋さんの社員の方が、最近退職されて千葉で自分のお店を出したみたいです。この前みんなが誘ってくれたときに行けなかったから、今度は行きたいなぁ。

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[ぱいぱいでか美]