がむしゃらだった無所属時代の思い出&事務所に入って嬉しかったこと【ぱいぱいでか美、桃色の半生!】第18回

連載・コラム

[2018/12/10 12:00]

「言うほどでかくないがそこそこでかい」おっぱいを武器に歌手、バラエティ、グラビアなどジャンルにとらわれず活躍するタレント・ぱいぱいでか美が自身の半生を初めて振り返る連載!


がむしゃらだった無所属時代の思い出&事務所に入って嬉しかったこと


バイトを辞めて一念発起、事務所無所属で裏方作業もこなす日々

こんにちは、ぱいぱいでか美です! 年末に向けて早め早めに原稿提出してるんですが、どんなに寂しいニュースがあってもがんばって書かないとな、という気持ちにさせてくれる“推し”の存在に感謝している毎日です。心の底から尊い存在です。まさに愛はフォルテどころかフォルテッシモ。原稿料でグッズ買います。

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一念発起しフリーターから脱却し、ぱいぱいでか美1本で生き始めたら、不思議と前よりもお仕事の依頼が増えた気がしました。というのも、まじで覚悟決めて辞めちゃったので、わざわざSNSとかでも宣言したんですよ。フリーター辞めたよー!って。これでまたバイト始めてたらダサすぎる、っていう状況に自分を追い込まないといけないと思ったんです。それを見てか、今までお世話になったライブハウスの方も引き続きたくさんブッキングしてくれたし、どうせ暇なのがバレバレだったので急なイベントのオファーも増えたりして、この時期は当たり前に仕事も選ばず(今も別に選んでませんが!笑)、もしかしたら1番働いていた時期かもしれません。いや、それはさすがにないか(笑)。

でも精神的にはキツかった記憶もあります。鬱病のときのほうが客観的に見ていろいろ大変だったんですが、この時期は病む暇すらないというか病院に行こうって発想もなくて、ある意味1番危うかったかもしれません。心にあらゆる隙間がありませんでした。というのも、この時点ではまだ事務所無所属。お仕事が増えたということは、イベント出演などがない日でも、オファーメールの返信をしたり、曲を作ってデモ音源を制作して編曲家に連絡したり、ホームページを更新したり、打ち合わせしたり、納品したり、ライブ当日だって自分で物販を管理して販売して……。とにかく表に立つ以外のことも全部自分でやらなきゃいけなかったんです。そうするとどうしてもミスが多発しちゃって。ラジオの収録時間を間違えてたり、返したつもりのメールが返せていなかったり、いざライブの日ってなっても体調を万全にできていなかったり。腹くくって自分のやりたいことで生きていくのに、せっかく仕事が増えてるのに、なんでこんなことすらできないんだろう……。自分が100パーセント悪い自覚があるから情けなかったなぁ。

ライブで会えば元気になれるヲタクのみんなの存在にかなり助けられていました。でも、疲れてるのとかバレバレだったと思うから当時のみんなにはだいぶ心配かけたと思います。ごめんね、そしてありがとう。だって差し入れで高級栄養ドリンクとかもらってたんですよ(笑)。救心くれた人もいたな……。これはさすがにちゃんとしなきゃ!と思い直したきっかけでもありました。私が元気をあげる立場なのにって。

しかも、私は今でもそうなんですけど、仕事とプライベートが繋がってるんです。うまくいくときは全部うまくいくし、ダメなときは全部ダメ。この時期は人間関係がゴタゴタしてて、なぜか関係なさそうなケンカに巻き込まれたりして、友達が減ったり増えたりしました(笑)。何わろとんねんって感じですが笑ってごまかしでもしないと虚しかった。でも、その時期に私の味方をしてくれて、支えてくれた友人たちとは今でも親友なんです。いつの間にか彼女らのことを“親友”と感じている自分に気づいたとき、大人になっても親友ってできるんだって感動したのをよく覚えてます。

芸能と音楽活動、両方を支えてくれる事務所との出会い

ライブ、ライブ、事務作業、事務作業、ライブ、ライブ……みたいな日々を過ごしていたある日、とある会社から連絡がありました。有名な方が所属している芸能事務所で、ウチに所属しませんか?という話でした。フリーター時代同様、事務作業に対して「こんなことをするために東京に出てきたのではない……」という思いを募らせていたところだったので、すぐに打ち合わせへ。しかし、何度かお話をしてみましたが、契約するには至りませんでした。

今ではレギュラーとして出演させていただいてる『有吉反省会』ですが、当時はまだ不定期出演の準レギュラー。とはいえライブ以外のお仕事を通して、やっぱり私はポケビ(ポケットビスケッツ)やヒッキー(宇多田ヒカル)に憧れた頃から何も変わってない根っからのテレビっ子で、テレビやメディアに出たいという気持ちに気づいていた頃でもありました。しかしそれは裏を返せば、どうしても音楽が主軸ということ。主軸というか、両方ちゃんとやりたいって気持ちの再確認でもありました。

最初に声をかけてくれた事務所は、芸能活動は支えられるけど音楽活動は自分でやる形になる、とのことでした。全然売れてない自分に声をかけてもらえただけで、本当にありがたく光栄な話ではあったのですが……わがままだけど、やっぱり音楽のことも支えてほしかった。

もうこんな良い話は2度と来ないかもなぁ、やっぱり自分でやってくしかないんだな、と思いながらも、会う人会う人全員に「事務作業が辛い、もうGmailを開きたくない」という愚痴を言いまくった結果、その話を聞いて拾ってくれたのが今の事務所・パーフェクトミュージックでした。パーフェクトミュージックは社長も社員ももともと知ってる人が多くて、そりゃもちろん打ち合わせも話し合いもしたし、音楽活動を支えてくれる確認も何回もしたけど、単純に直感的に「あー、ここなら大丈夫そうだ」って思えました。

事務所に入って、物販をスタッフがやってくれたり、請求書を出してくれたり、オファーの窓口がよりわかりやすくなったことで仕事が増えたり、いいことづくめでした。自分にとって事務所所属はひとつの大きな節目だったので、覚えやすいように8月8日“ぱいぱいの日”に契約をしました。

“事務所の先輩”という存在ができたのも大きな出来事でした。2015年に『夏の魔物』というフェスで青森に行った際、同じく出演者だったみさこさん(神聖かまってちゃん/バンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHI)とホテルが同じで「一緒に食べよう」ってカップ麺を持って私の部屋に遊びに来てくださって、すっごく嬉しかった! いろんな人に支えてもらってきた無所属時代だけど、孤独を感じることも少なくなかったので、“事務所”という組織のなかで気にかけてくれる人がいることが本当に嬉しかった。事務所の人にちゃんと仕事で返していきたいって気持ちも芽生えて、心にも体にも余裕が生まれて、よりひとつひとつの仕事に打ち込めるようにもなりました。

でも、無所属ゆえのヲタクとの距離感っていうのも、やっぱりあったと思います。私は根本的には変えたつもりはなかったけど寂しく感じさせてしまうこともあったので、ちょっぴり悩みました。事務所に入った途端、来なくなったお客さんとかもいたので……うーん、あれは切なかったなぁ。当たり前だけどあの頃から変わらずずっとついてきてくれるみんなのことが本当に大好きだし、最近は顔を見てないみんなのことも大好きですよ。元気にしてるといいんですが。同じ空の下、元気にしててくれよなって思うのは、ヲタクも演者も変わらないですね。

所属してすぐに事務所の屋上で撮った写真。わずか3年前なのに、やたら若く感じます

著者紹介

ぱいぱいでか美
1991年5月3日生まれ、三重県出身。牡牛座O型、桃色の女。名乗るほどでかくないがそこそこでかいおっぱいを武器に、テレビやグラビア、ライブにDJ、もはやおっぱい関係ない執筆業など、縦横無尽に活動中。

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[ぱいぱいでか美]