僕は彼をロックギター界の松本人志さんと呼んでいる〜ジミ・ヘンドリックス『ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン』~平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)連載
音楽と絵画を愛するお笑い芸人・平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)が美術館の館長となり、自身が所持する数々のCDジャケットのなかから絵画的に見て優れているもの、時に珍しいものをご紹介する連載。
第148回:僕は彼をロックギター界の松本人志さんと呼んでいる
今回ご紹介するのはこちら。
ジミ・ヘンドリックス『ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン』(1997年)
この連載では確か初めて取り上げることになるジミヘン。常に色々なところで行われている偉大なギタリストランキング的なものではほとんど首位を独占し、クラプトンもベックもペイジもキースもリッチーもその他あらゆるギタリストたちも敬愛するロックギターの歴史に最も大きな名前を残した男である。27歳、活動期間わずか4年という短い間に残した名作と、その才能がまさに全盛のときに亡くなったという事実がまた彼を神格化させているところだろう。
なぜ彼がこれほどまでの評価を得ているのかについては、ギター・マガジンなどリットーさん出版の過去のさまざまな文献で詳しく触れられていると思うのでそちらを参照していただいたほうがわかりやすいと思うが、ざっくりいうとシンプルにギタリストとしての魅力と、独自の発想によりエレキギターの可能性を大幅に広げたことが功績としてあげられるようだ。
こういったさまざまな要素から僕は彼をロックギター界の松本人志さんと呼んでいる。左利きだし。顔も似てるし。
『ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン』は、生前ジミが計画していたものの彼本人の死によって叶わなかったニューアルバムの構想を、彼と親しかったプロデューサーのエディ・クレイマーが限りなくジミの理想に近づけようと制作した“未完成の”アルバムである。そのため実際にジミが生きていたらどのようなアルバムになっていたかという少々寂しい想像を生むアルバムではあるが、単純に一枚のアルバムとしてとても未完成とは思えないほどの充実度を誇っている。ロック、ブルース、ジャズ、ファンクなどの素材を混ぜ込み、そこにジミヘンという個性的なソースを加えることで生まれる強烈なスパイスの効いたエスニック料理のような音。そのある種魔術的とも言えるような個性的な味から僕は彼の音楽をロック界のねるねるねるねと呼んでいる。
そして縦横無尽に駆け回る変幻自在のギターとソウルフルなボーカル。僕は当然リアルタイムで彼の活躍を体験していないので、当時の人々ほどそのプレイに斬新さを感じることはできないが、それでも単純に彼のギターは最高だと思う。バンドのグルーヴも素晴らしいし、この時点で充分名盤だと思うが、ここからさらにジミ本人はどう進化させようとしていたのかは確かに気になるところではある。
ジャケットは美しく染まる陽に浮かび上がる愁いを帯びた表情のジミ。見る者がジミのもはや見ること叶わぬ未来と、天国での彼の幸福に想いを馳せながらアルバムを楽しめるような深淵さを感じる素敵なジャケットである。
傑作ながら未完成、先があったらどうなっていただろうと想像させられるという意味で、僕はこのアルバムを『ジミ・ヘンドリックスのごっつええ感じ』と呼んでいる(うまい!トゥーリットゥリーン。ねっておいしいねるねるねーるね。クラシエフーズより)。