ブルースでいうならばB.B.キングである〜桂米朝『桂米朝 上方落語大全集 第一期』〜平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)連載
音楽と絵画を愛するお笑い芸人・平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)が美術館の館長となり、自身が所持する数々のCDジャケットのなかから絵画的に見て優れているもの、時に珍しいものをご紹介する連載。
第150回:ブルースでいうならばB.B.キングである
『音楽“ジャケット”美術館』で落語はありですか? まあたぶん怒られはしないと思うのでやっちゃいましょう。それに僕のなかでは落語はある意味音楽なので。
桂米朝『桂米朝 上方落語大全集 第一期』(2006年)
桂米朝という名前は落語好きでなくても知っている人は多いと思う。2015年に亡くなられたが、生前はもはや誰もやらなくなった多くの古い噺を復活させたり、テレビでの活躍などもあり、消滅寸前だった上方落語を復興させた功労者として、落語界では歴代たったの3人しか出ていない人間国宝に認定されている偉人である。
僕の世代では芸人でも落語を通ってきていない人が多く、僕も落語がきっかけでこの世界に入ったわけではないが、勉強のためといろいろ見たり聴いたりしているうちにそのおもしろさ、かっこよさに惚れたというわけである。事実基礎をすっとばしていきなり応用的なことをやりたがる人の多い現代のお笑いを見るよりも、笑いの基礎が詰まった落語を鑑賞するほうが学ぶことは多い。音楽でいうブルースに当たるものだと思う。
なかでも米朝師匠の落語は入門者に優しいわかりやすさと、玄人をうならせる職人的技術を兼ね備えたスタイルで、「落語は米朝に始まり米朝に終わる」などと言われるほど幅広く受け入れられる魅力を持っている。ブルースでいうとB.B.キングに当たる(生没年も同じ)。
まずその流麗な語り口が聴いていて心地よい。音の運び方や緩急のつけ方など、師匠の語りをそのまま楽譜にしたらまあまあの名曲が生まれるのではないかと思うほど、音楽的な魅力をも兼ね備えている。同時に笑いどころを誰にでもわかりやすいトーンで表現してくれているあたりが初心者に優しく、オリジナルの発想力も持ち合わせているのでしっかりと笑わせてもくれる。B.B.キングは笑わせてくれないので、米朝師匠のほうが上である。
『桂米朝 上方落語大全集 第一期』はそんな米朝師匠の音源を集めたなんと10枚組の大全集。同シリーズは以降も続いている。CDとしては2006年発売だが録音はもっと古いもので、若い時分の脂の乗った師匠の落語を大いに楽しめる。有名な噺からほかではあまり聴けない珍しいものまで収録されており、圧巻は10枚目の『地獄八景亡者戯』(じごくばっけいもうじゃのたわむれ。世界一かっこいい漢字7文字)。1時間超えの長編落語で、ストーリーとしてはおかしなところもちょくちょくあるのだが、師匠の上手さがすべてを捻じ伏せる。まるでSFアトラクションのように鑑賞者をその世界にぐいぐい引き込む技は見事と言うほかない。それも言うまでもなく語りのみで、である(要所要所で囃子は入るが)。
そしてジャケット。このシンプルながら堂々とした字体、まさに一刀に魂を込める居合のごとし。「間」と「粋」を感じさせるものこそ日本美学だと思っている僕にとっては、ペディグリーチャムを目の前にした雑種犬のごとくよだれが止まらない、かっこよすぎるジャケットだ。題字は「中村鴈治郎」と書いているが、おそらく歌舞伎役者の中村鴈治郎さんで、二代目らしいので生前に残したものということだろう。
最低限の動きと語りのみで鑑賞者の意識を江戸時代まで連れて行ってくれる落語は世界的にも類をみない究極の芸だと思う。ポピュラーミュージックにおけるブルース同様、現代のお笑いにとっても父親のような存在である落語に芸人はリスペクトの気持ちを忘れてはいけない。
今回特にオチなくてすいません。せめて大黄でも呑んで下してしまおうか。