竹下幸之介(DDTプロレスリング)の『ニシナリライオット』第21回:「西成の街を蛍光色の自転車が走っているのには理由がある」

連載・コラム

[2019/11/22 12:00]

2007年05月27日

305話『わんぱく相撲結果』

今日はわんぱく相撲大阪市大会がありました!!

府立体育館にに着いたらすぐに、選手宣誓の紙を覚えさせられました...
眠いのに(>_<)
でも無事言えました(・∀・)

弟もいちよ1年生なので出てました(=⌒ー⌒=)
弟は3位でした!!
最後力強い奴とあたり諦めていたので軽く叱りましたヽ(*`Д´)ノ

それから僕の結果ですが、みんな体大きくなっててかるく100kgはあるだろうっていう子ばかりでした(T^T)
自慢さしてもらえますが優勝!!そして6連覇!!
自分でも良くやったと思います( ´∀`)


わんぱく相撲には親に半ば強引に出させられてました。毎年、小学校にわんぱく相撲の案内用紙が届くと

「プロレスラーになりたいんやったらここで結果残しといで!」

言われて。最近になって思うことが、わんぱく相撲にはおおいに人生を変えてもらったんじゃないかと。

幼稚園頃は一人称が“プーさん”で、ぼーっとしてプロレス観る以外は家では寝てて。とにかく能天気で、ノロマでパッとしない子でした。小学校にあがり、そんな自称くまのプーさんが獰猛な獣ばかりの土俵に上がらさせられて相撲をとらされる。そのとき、同じ小学生数十人をバッタンバッタン押し倒しながら思ったことを15年経った今も忘れません。

「プーさん、やればできるやん」

と。自分で自分に初めて自信を持てた瞬間だったから。それが、6年連続で優勝する頃には

「おれ、選ばれし子やから」

になってましたから(笑)。でもこのとき感じたことは、今でもここぞというときに頭で呟くようにしています。おれは普通じゃない。特別。選ばれし人間。そう思うと、強くなった気がするんですね。

このあと、モンゴルに日本代表力士としていくんですけど、その話はまたの機会に。

子どもの頃のメンタルってさまざまな要素で左右されるでしょ。だから強くなるのも弱くなるのも紙一重で、親がちゃんと導いてあげて子どもがそれに応える環境づくりがすごく大切で、私の場合はそれがわんぱく相撲だったと。

当時はその偉業も称えられ、“スーパー相撲小学生”というかっこいい肩書きを携えてテレビに出させてもらったりしてたのも今にすごく活きてると思います。

子どもの頃から常に逆算の人生。1日も早くプロレスラーになるにはどうすればいいか、何をすればいいか、それだけを考えて小学校からの学生生活を過ごしていました。なので「ここは絶対しくれない」みたいな気持ちを子どもながらに敏感に感じながら過ごしていて、気づいたらそこはすでに完璧超人への道だったんです。

いつの日か幸之介Jr.が誕生したら、親父の6連覇と並んでほしいなあ。

竹下幸之介

1995年5月29日生まれ、大阪府大阪市出身。身長187センチ、95キロ。現役高校生レスラーとして2012年8月の日本武道館大会でデビュー。高校卒業後、日本体育大学へと進学し、学業とプロレスの両立に励み、2018年3月に無事卒業した。卒論のテーマは『ジャーマン・スープレックス』。2018年4月に入江茂弘に敗れるまで、KO-D無差別級王座11回防衛の最多記録を樹立した。地元西成への愛が深く、2018年大みそかの『年越しプロレス』には、「西成魂」の刺繍が入ったオーダーメイドの特攻服をわざわざ作って参戦。“西成のエリートヤンキー幸之介”として愛されている。