【掟ポルシェの食尽族】第1回:母の味に馴染めなかった男
自称「食べもののことになると人格が変わる」ほど食に執心する“食尽族”でミュージシャンの掟ポルシェ(ロマンポルシェ。、ド・ロドロシテル)が、実際に食べてみて感動するほど美味しかったものや、はたまた頭にくるほどマズかったもの、食にまつわるエピソードについて綴る連載。読んで味わうグルメコラムがここに!
第1回:母の味に馴染めなかった男
本当に、メシのことになると、頭がおかしくなる
どうも! メシのことになると途端に人が変わる異常者です! 食べもののことになると露骨に卑しく浅ましくなり、飯屋で注文したものがマズかったりしようものならさぁ大変、一口食べてあとは全残し&残飯と化したゲロマズのそれにボキボキに折った割り箸を突き立て+箸袋を稲妻状に折りたたんだものも突き立てて「これは人間の食いものではない」ことを全力で作った者に伝達し、その上店長を呼びつけ、「お前、これ一度でも自分で食ったか? で、本当にこれでいいと思ってんのか?」と殴りかかる一歩手前のトーンで声に出してそのマズさを伝える(またいつもの誇張した表現と思われるかもしれませんが、いままで何度となくここに書いたとおりのことをやってます! 下品ですみません!)……。そして、美味しいものを食べたときには思いつく限りの賛辞の嵐をツイッターに連投&うっとりして脳でうまみ反芻してほかの仕事が手に付かない&会う人会う人にそれが如何に美味かったかをあやしい宗教の勧誘レベルで激推ししまくる……。収入もそれほどないのに食に関しては高級志向、エンゲル係数は爆発的に高く、光熱費の督促状を華麗に無視して割烹の暖簾をくぐる……。本当に、メシのことになると、頭がおかしくなる。「食へのこだわり」とかいうレベルではなく、食べたいときに食べたいものが食べられないということが絶対に無理、付き合いで食べたくないものや口に合わないものを食べているとどんどん目が据わってきて人が悪くなり、人目一切はばからず不機嫌さを顔で表現……ダメだダメ! これ、読んだ人がもれなく気分を害するやつだ! ヤバい!
食に関するコラムを今回から書くことになったわけですけども、“味のジキル博士”である極端味覚のこの俺が、食へのこだわりを思うまま赤裸々に綴って本当に大丈夫なのか? タイトルがあのヒューマン串刺し映画に引っかけてあって食べものコラムとしてそれもどうなのか? 現代のコンプライアンスからおっとっとと勇み足しつつ、書きたいように書き殴っていく所存です。なんかあったらそのときは俺ではなく編集部が全責任を持つ!
子どもの頃から無理なものは無理だった
今回、編集部からいただいたお題が、「食に対してこだわりを持つようになったのはいつ頃から?」というもの。いや、こだわってるつもりは毛頭ないんですよ。ただ、一親等の肉親が愛情をもって作った料理を、肉親が、愛情をもって作ってくれたからといって評価を不問にし全面的に通すということがビタイチできないだけで(ものすごいめんどうくさい)。
“母の味”というんでしょうか。あれがまず無理。日本全国の母親のみなさん、ホントすみません! いや、母親のことは本当に大好きなんですが、大好きだからといって「お母さんの作った料理って、なんだかホッとする味でいいよね」とは絶対にならないのです。だからといって、うちの母親の作る料理がほかの家庭に比べ群を抜いてゲロマズだったかというとそうではなく、料理によっては上手く作れるものもあり、そうでない「母親は好きで食べているけど、俺の口には合わない料理」についてだけ、かあちゃんそれちょっと勘弁! と全力で顔に出し、なんなら口に出してハッキリNO! 悪ぃけどこれ母ちゃんだけ食って! と言わずにはいられない。(次ページへ)