これまでに聴いたことのない音楽と、突然の恐ろしい質問(大阪・長居 その2)〜劔樹人【あの街に鳴る音】第2回〜
エレクトロダブバンド・あらかじめ決められた恋人たちのベーシストで漫画家の劔樹人が、これまで住んできた街の思い出と、その頃の心情を綴るノンフィクション連載。リリカルな作風で人気の彼が、エモさたっぷりにお届けします。
第2回:これまでに聴いたことのない音楽と、突然の恐ろしい質問(大阪・長居 その2)
当時大阪市立大学には軽音系サークルが4つあった。歴史が古いのか、もっとも幅を利かせていたのがMusic Research Club(通称MR)。HR/HMがプライオリティ高く演奏されることが多く、保守本流である。名前は普通だが、ノイズ/アバンギャルドから現代音楽まで、もっとも革新的な音楽が好まれていたのが軽音楽部。人と違うことが重視される傾向があった。フォークソングクラブは、おそらくもともとはフォークソングをやっているサークルだったのだと思うが、その当時は普通にバンドのサークルで、J-POPを中心にメジャーな音楽をコピーしていた。上記が“音楽系3サークル”として、各々の音楽練習場(スタジオ)が並んで常設され、合同イベントなどの交流も盛んに行われていた。
もうひとつ、ポップチャップスという新興サークルがあったのだが、ここはまったくの別流派で、他サークルとの交流も一切ないので、結局素性をよく知らないまま私は卒業している。もちろんこういう事情は後々わかってくるもので、新入生だった私は何も知らない。唯一の情報源は、もうMRに仮入部を果たしているメタルドラマー・H本くんだ。PUFFYの影響でワッフルパーマにしている女子たちのなか、誰もやっていない千堂あきほタイプのソバージュをなびかせた彼から、軽音楽部が開催する“ビアパーティ”というものに誘われた私であったが、いまだ体育会系に支払った6,000円が気になりすぎて、文化系サークルへの気持ちは十分ではなかった。
これまでに聴いたことのない音楽
その日も大学生協でぼんやりしていたらすっかり日は暮れており、約束の時間はとうに過ぎていた。ちなみに当時の私は携帯電話を持っていなかったので、H本くんから「まだ来やんの?(和歌山弁)」という連絡がくることもない。私の高校生時代である1995〜1998年は、若者のガジェットがポケベルから携帯電話に移り変わっていった時期。友人たちは半数近くがケータイ、PHSを持っており、大学生になってその割合はさらに増えたが、とにかくマジョリティに対するアゲインストだけがアイデンティティで、思わず東京ではなく大阪に出てきてしまったような者である私は、その風潮に従うことを良しとしていなかった。
めんどくさいなあと思いながら、文学部のあるキャンパスから教養キャンパスのほうへ歩いていると、薄暗くなり人もまばらな構内、遠くからバンドの音が聴こえてくる。
教養キャンパスの裏手、サークルボックス棟へと続く音楽練習場と体育館の間の道に、ドラムセットやアンプ、PA機材が並べられ、人だかりができていた。
これは一体……!
このとき演奏されていたのは、チボ・マットのふたりがジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン(JSBX)のドラマー・ラッセル・シミンズらと結成したバター08というバンドのコピーだったことをのちに知る。当然、そんな音楽を聴いたことのなかった私には衝撃が走った。
ただ、それでもすぐに行動できないのが当時の私である。
ちなみにこのとき資料を見せてくれた学籍番号が隣だったDさん、現在有名なマンガ家になってちょっと売れているらしいのだが、頑なにそのペンネームを秘密にしているらしい(『鬼滅の刃』の吾峠呼世晴先生ではないことは確定)。ある種同業ともいえる私としては、いつか突き止めたいと思っている。
そんな感じで、ぼんやりしているうちに4月の半ばとなった大学では、新入生歓迎祭というものが始まった。大学祭なので華やかなものかと思ったが、多くの新入生はさほど興味もないのか、期待したほど盛り上がる行事ではないようだ。それでも私は、メインステージで行われている軽音系サークルやJAZZ研究会の演奏を熱心に観ていた。
日も暮れて寒くなった頃、軽音楽部の演奏として、ステージにベースとドラムという編成のふたりの男が現れた。
まだ若く、良いプレイヤーを知らないせいもあっただろうが、このときのドラマーに感じた衝撃は、私が生涯出会ったドラマーのなかでもトップクラスだと今でも思う。その人はサウスポーのため、右利き用のドラムセットでは、普通は手を交差して右手で叩くハイハットを左手で叩く。フィッシュマンズの茂木欣一さんや東京事変の畑利樹さんと同じ“オープンハンドスタイル”だ。すさまじい前ノリでバタバタしているが、血が沸き立つようなドラム。私は激しく興奮した。
ここまで来たら、軽音学部を選びそうであるが、私にとってH本君はこの大学で頼りにできる数少ない友人なのである。彼がMRに入るといっているのに、ひとり軽音楽部に決められるような決断力はない。
突然の恐ろしい質問
翌日、新入生歓迎祭2日目(最終日)。生協の食堂前に組まれた小さなステージで、ひとりでずっとしゃべっている謎の男性がいた。
漁業組合のジャンパーを着て、いかにも無頼漢という出立ち。私は、酒を飲みながら延々としゃべり続けるその男の話がなんとなくおもしろくて、ひとりで見ていた。
そのときである。
マイクを通してキャンパスに響き渡るようなこの質問、今考えると恐ろしいハラスメントである。90年代の価値観で、童貞は恥ずかしいという感覚があった。高校の頃、授業中に教室の後ろの席からクラスメイトの背中を見ながら、「童貞、童貞じゃない、童貞じゃない、童貞……」と、頼まれてもいない統計調査をしていた日々も記憶に新しい。それが突然、見ず知らずの人にステージ上から、公衆の面前で聞き取り調査をされてしまったのだ。
確かに私には高校3年生のときにできた彼女がおり、大阪の家に2日間泊まりにも来た。しかし、度胸がなくて何もできなかった。私が引っ越す際、彼女が一緒に大阪に遊びにくると決まったときは、当然そういう心づもりも存分にあった。しかし、一夜目は疲れてあっさり寝てしまった。そのときは、もう一夜あるから、今夜こそはと思ったが、タイミングを見計らっているうちに夜が明けてしまったのだ。
私は嘘をついた。