僕もカッコいいバンドをやりたい!(大阪・長居 その3)〜劔樹人【あの街に鳴る音】第3回〜

連載・コラム

[2022/11/2 12:00]

エレクトロダブバンド・あらかじめ決められた恋人たちのベーシストで漫画家の劔樹人が、これまで住んできた街の思い出と、その頃の心情を綴るノンフィクション連載。リリカルな作風で人気の彼が、エモさたっぷりにお届けします。


第3回:僕もカッコいいバンドをやりたい!(大阪・長居 その3)


個性豊かな先輩たちとの出会い

想定外の質問にまったく受け身を取れず、咄嗟に嘘をついてしまった18歳の私。まあしかし、この大学に高校時代の私を知るものは誰もいない。誰かに「嘘だ!」と見破られるわけもなく、嘘をついたことに高鳴る私の胸とは裏腹に、波風立たずに場は流れていった。これで私の嘘は墓まで持っていけることがほぼ決まった。ここに書いているが。

そして私は、このときのやりとりがきっかけで、この無頼な男性にすっかり魅了されてしまった。彼はO川さんという4回生。校内でもっとも幅を利かせている軽音系サークル・Music Research Club(MR)のドラマーだという。素直に自分のやりたい音楽の雰囲気で選ぶなら軽音楽部なのに、H本くんの存在なしでは心細く、決めきれなかった私。しかし、H本君やO川さんの存在によって、MRに入る理由ができたとも言える。

それに対して、軽音楽部はというと。

この人がいるサークルはなんか怖いからやめておこう……。自分の中でそんな納得もできたのだった。ということで、私はH本くんとともに、MRに入ることになった。HR/HMのプライオリティが高いこのサークルは、文化系のくせに、体育会系的な厳しい縦社会と、受け継がれた伝統を重んじる保守的思想により組織が作られていた。

部長は3回生のNボンさんという、くまさんのような風貌のもっさりした男性だった。バンドに対する90年代的な偏見では、体格からしてドラムをやってそうな雰囲気だが、担当パートはキーボード。でも、髭面の太った男性が流暢に弾くオルガンはすごくカッコよかった。

ただNボンさんは座ると、太りすぎによる股擦れでジーパンに大きな穴が空いているのが見えた。そのほか、先輩たちはとても個性的だった。

5回生以上の大御所の先輩もたくさんいて、なんだかミュージシャン的オーラがすさまじかった。しかし今思えば、ほとんどがただコピーバンドに熱中しすぎて留年していただけの大学生でしかなかったわけだが。

どうせバンドをやるなら、曲を作ってライブハウスで活動したい

その中で、オリジナル曲でインディーズバンドとして活動している人たちもいて、それはサークルの外で活動しているからか、「外バン」などと言われていた。私がバンドサークルに求めるならこれだと思った。別にコピーバンドをサークルのみんなに見せて、学生生活に彩りを添えたいわけではない。どうせやるなら、曲を作ってライブハウスで活動したい。

特に、MR出身で、ちょうどその当時ソニーからメジャーデビューした“ザ・タートルズ”というバンドがいた。彼らは当時サークルにとって誇りのような、希望のような存在のようにも語られていたし、反面、「セルアウトしてダサい」というような見方をしている人たちもいた。

また、大阪城にある広場でのストリートライブを拠点に人気を博し、300人規模のライブハウスを完売するようなバンドもMRに在籍していた。当時4回生だったハセガワさん、奥さん、ピエールさんに、7回生だったデスオさん(のちにデスヲに改名)がメンバーである“P.I.MONSTER”というバンドである。彼らは、シャ乱Qが主催していたバンド集団“すっぽんファミリー”の一員であり、特にピエールさんや奥さんはトークもおもしろくて、大阪でつんく♂さんとラジオパーソナリティもやっていた。新潟の田舎から出てきた私にとって、それはもはやテレビの中の世界である。素直に都会はやっぱりすごいとは思ったが、若かりし私はサブカルでアンダーグラウンドなものしか認めたくない気持ちもあったので、サークルの先輩たちから話を聞かされたときは「へー、そうなんすねー」程度にしか思っていなかった。

そんな自分がのちに、つんく♂さんプロデュースのモーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトに夢中となり、さらにその時代のエピソードを描いた漫画『あの頃。』が松坂桃李さん主演・今泉力哉さん監督で映画にもなったのだから、縁というものはおもしろい。

P.I.MONSTERは2005年に一旦解散後、ベースの奥さんはつんく♂さんの会社の取締役となった。ハロヲタ(※ハロー!プロジェクトのファン)を経た私は、奥さんを通じてつんく♂さんとも出会うことになる。また、ピエールさんは作曲家・編曲家として、ハロプロの楽曲にも多く参加している。

逆に私が憧れた先輩は、あのO川さんだ。

彼は、もう卒業したひとつ上の先輩ふたりと、Very Apeというグラインドコアのバンドで活動していた。ギターボーカルのサダさん(定岡正二に似ているから)とベースボーカルのヤスさんは、それぞれの地元ですでに就職しており、1998年にはほとんど活動はしていなかったが、O川さんはまだMRに在籍していて、様式的なロックがもてはやされるサークルの中では異端のはぐれものだった。

O川さんは痙攣するようなブラストビートを得意とするドラマーだ。とにかく速かった。

大阪のバンドシーンに足を踏み入れる瞬間

HM/HRに興味はなく、とにかく型にはまるのが嫌だった私は、O川さんを慕ったことですっかり気に入られ、MRの伝統を守る幹部ラインからはどんどん外れていくこととなる。ニルヴァーナの曲名からバンド名が付けられたVery Apeは、結成当初はグランジ系のバンドだったようだが、SxOxBやブルータル・トゥルースの影響でどんどん高速化し、1997年には大阪の名だたるパンク・ハードコアのイベントに多く出演していた。

関西のファッション誌『カジカジ』がサタンアルバイトなどのハードコア/スケーターカルチャーのブランドを積極的に取り上げ、今はなき天保山のライブハウス、ベイサイドジェニーでメロコア、スカパンク、ミクスチャーも含めたハードコアバンドのイベントが大盛況で開催されていた時代だ。

さらに私が入学した頃、Very Apeは奈良の97式重戦車というドゥームメタルのバンドとスプリット7インチをリリース。このレコードのレビューが、まだ芸能人のスキャンダル暴きでメジャーになってもいなければ、モーヲタ(※モーニング娘。のファン)たちの情報誌となってもいない初期の『BUBKA』に掲載され、私はその聞いたこともなかった雑誌を買いに長居の信長書店に出向いた。私にとっては、P.I.monsterがつんく♂さんとラジオをやっていることより、Very Apeが謎のサブカル投稿雑誌に載っていることのほうがカッコいい事件だった。表紙は、ELT(Every Little Thing)の持田香織さんが、黒BUTAオールスターズというアイドルをやっていた時期の発掘写真だったと記憶している。

レコ発ライブは大阪の老舗ライブハウス、難波ベアーズで開催された。のちに自分のバンドのホームグラウンドとして、私の大阪時代のバンド活動でもっとも重要なライブハウスとなるベアーズに初めて訪れたのがそのときである。

出演はVery Apeと97式重戦車、ゲストには東京からSUNS OWLというブッキング。まだSUNS OWLが国内外の大型ラウドフェスに出演し、日本を代表するヘヴィなバンドとして活躍する前のことだ。

Very Apeのライブは1〜2分の高速ナンバーを畳み掛けて10分ほどで終わる(それ以上やると疲れるから)。O川さんのマシンガンのようなドラム、サダさんのデス声とヤスさんの金切り声の掛け合いも含め、当時の私にはものすごくカッコいいものだったが、まったく聴き取れない歌詞はただ「RH、RH……」(広末涼子が好きなので)と連呼するだけだったり、23歳になってまだチェリーボーイの友人を揶揄するものだったり、極めて無意味で軽薄な内容だった。

さらにこのバンドの3人は、さとう珠緒さんや安西ひろこさんの握手会に揃って参加してみたり、O川さんに至っては部屋にアイドル誌の『BOMB』や『アップトゥボーイ』が山積みになっているというオールドスクールなアイドルヲタであり、そういうのは恥ずかしいものだという90年代的な空気を気にするでもなく、堂々と公言しているのが私には新鮮だった。

のちにアンダーグラウンドなハロヲタに進化していく私のアイデンティティは、この頃に形成されたと思う。

劔樹人

つるぎみきと●1979年5月7日生まれ、新潟県出身。「あらかじめ決められた恋人たちへ」「和田彩花とオムニバス」のベーシスト。2010年代にはロックバンド・神聖かまってちゃん、撃鉄、アカシックのマネージメントを担当。漫画家やコラムニストとしても活躍しており、2014年に発売された初の著書『あの頃。男子かしまし物語』は松坂桃李主演で2021年に映画化され、話題を呼んだ。