狂気の目つきをしたSくん&バンドマンと思えない地味な風貌のひらポン(大阪・長居 その4)〜劔樹人【あの街に鳴る音】第4回〜
エレクトロダブバンド・あらかじめ決められた恋人たちのベーシストで漫画家の劔樹人が、これまで住んできた街の思い出と、その頃の心情を綴るノンフィクション連載。リリカルな作風で人気の彼が、エモさたっぷりにお届けします。
狂気の目つきをしたSくん
バンドサークル“MR”に入ったことにより、私の大学生活はバンド活動中心の日々に変化していく。H本くん以外の同期にも、多くの仲間が増えることになる。入部当初、私がまず仲良くなったのは、滋賀県からやってきた法学部のフランク・ザッパ好き・Sくんであった。
Sくんは目鼻立ちのくっきりした男前であったが、その目は常に笑っていない。映画などで狂気の連続殺人鬼を演じるときの俳優と同じ目をしていた。そういう目をしているので、Sくんの言うことは本気なのか冗談なのか、どこか本心が読めないところがあった。しかし彼は音楽をこよなく愛していてギターも経験者、バンドにも楽器にも詳しく、私は暇さえあれば彼とともに過ごすようになっていった。
6月に、新入生が参加する初めてのサークル行事である『春の定期演奏会』というものがある。私もここで何かやって、先輩たちに存在感を示しておかないといけないので、ギターにSくん、ドラムにH本くん、ボーカルに同じく新入生の女の子の4人で適当なバンドを結成した。
初めてみんなで音を出したとき、衝撃的な事実が発覚した。
Sくんは画期的に音感がなかった。それは、フレーズをそのままコピーしたつもりが、まったく別のメロディになってしまっているレベルなのである。さらにリズム感も抜群にない。こんなに音楽が好きなのに、音楽を演奏する上で最低限なくてはならない二物を、絶望的なほど与えられていなかったのである。
私はそもそも、コピーバンドで大学での思い出を鮮やかに彩りたいなどというつもりでバンドサークルに入っていない(入学当初は運動部に入るつもりだったのに)。Very Apeの人たちのように、運命のメンバーと出会えたら、一緒に曲を作ってライブハウスでインディーズバンドとして活動するのが目標なのだ。サークル活動を通じて出会う人たちに対して、常にそういう可能性があるかどうかの目で見てしまっている節があったのは否めない。
ちなみにボーカルの女の子は、その後すぐにサークルを辞めてしまった。Sくんはその後、何か思い悩むことでもあったのか。
しかし、彼のヒッチコック的な目からは、それが冗談なのか本気なのかがまったく見えてこない。そうこうしていると、いつの間にか彼は、その新興宗教の「住吉支部長」にまで出世したらしい。
大学が長期休みになり、久しぶりにサークルのみんなにあったとき、Sくんのこんな話を聞いた。
“紫”とは、沖縄のベテランハードロックバンドである。宗教に傾倒した結果、なぜそこを目指したのかはよくわからない。
バンドマンとは思えない地味な風貌の、ひらポンという男
もうひとり、私の大学生活を通じて大事な友人となったのが、ひらポンという男だ。
理学部の彼は、バンドマンとは到底思えない地味な風貌をしていた。1998年当時、よく「バンドマンとは到底思えない風貌」と言われるミュージシャンとして、日本にはNUMBER GIRLのギター&ボーカル向井秀徳さんだったり、海外にはウィーザーのギター&ボーカル、リバース・クオモだったりが存在したわけだが、ひらポンの華のなさとは比べものにならない。
しかも無口であり、いつの間にか黙ってそこにいるので、彼の人生、きっとどこかで幽霊と間違われたことがあったと思う。
そんなひらぽんを気に入ったのがTさんという先輩だ。
Tさんは大学入学から8年目、そのときのMRの中で一番歳上だと聞かされたが、実はとっくに大学は卒業していて、フリーター生活の合間に大学に出入りしている人だった。つまり毎日来るOBである。世の中、そういう人は若者から煙たがられそうだし、実際煙たがっていた先輩たちもいただろうが、1回生の私たちはそういうものだと自然に受け入れていた。
Tさんはひらぽんがビジュアル系バンド・La'cryma Christiが好きであるという事実を聞き出して、プロデュースに乗り出した。
ただの新入生いびりのような気もしなくもないが、そのTプロデュースでひらぽんはサークル中で一目置かれる存在となり、実際彼の無口の裏に隠れたユーモアと人の好さは、男女を問わず好かれた。私も、大学4年間でかなりの時間を彼と過ごした。彼はひとりで私のうちに遊びにきても、何も言わず座っている。こちらも一切気を使わない。そういう自然の心地よい関係性があった。
私の同期には、ひらポンとあとふたり、ものすごく地味なのがいて、彼らは先輩から「ジミーズ」と呼ばれていた。
MRはサークル自体が体育会的な体質だったので、合わない新入生はどんどん辞めていったが、ジミーズの3人は4年間真面目にバンド活動をし、活躍し続けた。
そういえば、新入生に適当なあだ名をつけるのは大学のサークルにありがちなことだと思うが、MRでは「〇〇夫」というあだ名がつけられがちだった。デスメタルが好きなデス夫さんを初め、先輩にはナパ夫さん(ナパーム・デスが好きだから)、シャバ夫さん(シャバいから)など、さまざまな「〇〇夫」がいたのだが、私の同期にもそれはあった。
適当にもほどがある。今思えば、結局ジミーズのほうがよっぽど個性があったということなのだろう。
デパ夫もツレ夫も、夏にはサークルを辞めていった。