大学を卒業し、我孫子の奇妙なアパート『東京ハイツ』で新生活の始まり〜劔樹人【あの街に鳴る音】第12回〜
エレクトロダブバンド・あらかじめ決められた恋人たちのベーシストで漫画家の劔樹人が、これまで住んできた街の思い出と、その頃の心情を綴るノンフィクション連載。リリカルな作風で人気の彼が、エモさたっぷりにお届けします。
大学4回生になり進路を考える
大学4回生。バンド活動に夢中だった私に、進路を考える季節がやってきた。というか、その季節はとうに過ぎていたのであった。就職活動は3回生のときから始めるのだ。
ま、私はもともと一般企業に就職希望でもないし、大学に入ったときからなんとなく考えていた、教員免許でも取ってから考えるか……教育実習でも行って……とか思っていた。
私は、教員免許は教育実習に行けば取れるものだと勘違いしていた。
入学したときもそうだったが、私は人の話を聞いていなければ、資料もちゃんと読んでもいない、周囲が当たり前にやっているシステムに沿うことができないことにとにかく長けていた。
しかも、日頃一緒にいるのはとうに就職など諦めた(むしろ留年しているのでまだ就活の時期が来ていない)ボンクラバンド狂い学生たちである。ただ、いきなりバンド“Y”のために進路を何も考えないのには抵抗があった。なんせ“Y”は明らかに“バンドで食おうと夢見るバンドマン”のやっている音楽性ではない。「バンドで売れたいなら働くな」と大好きな忌野清志郎さんは言った。その言葉の意味することもわかっているけど……やっぱり無理!
そういうところだけ慎重なのが、自分の器の小ささというか、大成しないところだとつくづく思う。
私は、もう1度自分がやりたいこと(バンドの次に)をよく考えて、大学院への進学を目指すことにした。私は、もともとは大学受験のときにぼんやり選んだ社会学に魅力を感じていた。しかしそれも今思えば、結局はモラトリアムを延ばしたいだけだったのだが。
社会学に魅力を感じたのは、この2年間、所属していた社会学研究室が行っていた社会調査活動に熱心に参加してきたからだ。4回生になった私は、真面目に受けていなかった社会学の授業を真剣に受け直し、受験勉強を開始した。やるべきことが決まると急に真面目になってしまうところにも、自分の中途半端さを感じてしまうのであった。
そこから半年、必死で勉強をしてきたが。
内部の学生、しかも私は教授たちからも気に入られていたため有利だったはずだったのだが、その年は京都大学院、大阪大学院が大きく門戸を狭め、そちらのエリート学生たちが大量流入してきたのである。勝ち目があるわけがない。
これで自分にはバンドをやるしかなくなった
翌年、私は無事に大学を卒業。
今思うと、なんでこの発想に至ったのかまったく理解できない。完全に社会性を欠いた人間が、無駄に晴れ晴れした気持ちで社会に出てしまったのであった。
大学を卒業した私は、4年住んだ長居の賃貸マンションを引っ越すことにした。
家賃4万5,000円。ベランダが駐車場に面した1階だったので、昼寝しているとたまに近所の小学生に覗かれたりもする素敵なマンションだった。しかし、これからはバイトとバンドの生活だ。もっと家賃は安く抑えたい。
そんなとき、声をかけてくれたのはクラブの先輩バンド“かきつばた”のドラム、井上さんだった。
私は、大阪市住吉区我孫子の奇妙なアパート、『東京ハイツ』に引っ越すことになる。長居の隣駅、我孫子のこの変なマンションで、新生活が始まるのであった。