磯部正文(HUSKING BEE)のカープ愛【カープと私〜広島東洋カープファンによる9打席連続企画〜】

特集・インタビュー

[2016/10/6 12:00]

【祝】広島東洋カープ25年ぶり優勝!

実に25年ぶり(!)のセ・リーグ優勝を果たした広島東洋カープ! この特集では、日本中を熱くしてくれたカープに敬意を表し、音楽界・エンタメ界のカープファンからの愛情あふれる「カープと私」エピソードを9打席(9日)連続で公開します。10月12日からは32年ぶりの日本一を目指し、クライマックスシリーズのファイナルステージに挑む彼ら。まだまだカープは止まらないっ! カープ カープ カープ広島!広島カープ!

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磯部正文(HUSKING BEE)

『僕、カープが好きです。今もぶち好きです』

1979年。僕は小学1年生。広島市民球場まで歩いて10分もかからないところに実家がある、生まれてすぐのカープファンだ。通っていた小学校のゴミ捨て場付近のいい感じのスペースで、よく泥だんごを作っていた。その小学校では「広島から大阪まで走ろう」というタイトルの紙の数十マスを埋めるために、登校後に校庭を数周する行事があり、“今日は何処そこまで走りました”というハンコを押してもらっていた。

とある日、すでに生徒が走っているのに僕は友達と泥だんごを作っていた。「磯部やばいで、もうみんな走りようるで、もう行こうやあ」という友達の声。「そうじゃのう」と、固まり待ちの泥だんごを日陰に置き、ゴミ置場の低いブロック塀をジャンプして越えた、はずが……。何か足に違和感があり立ちつくす。ゴミ置場に立てかけてあったガラスに気づかず、ふくらはぎがザックリバックリと切れていた。病院へ運ばれ、11針縫っていただき、結果半年近く学校を休むことになった。

そんな事件で不登校中の僕は、大好きな広島東洋カープの近鉄バッファローズとの日本シリーズを連日ゆっくりテレビ観戦。第7戦・江夏投手の21球をはらはらしながら見届け、日本一になった瞬間に思いきり飛び跳ねたいのに足が痛くてできなかった。

その頃の僕は、親戚数人に「古葉監督に、なんとなく似とるねえ」と言われていた。テレビで見てると、ベンチの壁から半身しか見えないことの多い、隠れてる感じの古葉監督が好きだったから、言われると嬉しかった。

小学4、5年生の頃、球場入りする長嶋選手と高橋慶彦選手を見つけた。思いきり子どもだった僕は、ほかにも気づいて群がる人と同じく思いきり走って、逃げる慶彦選手の背中に追いつき、怒られるかもしれないような勢いで思いきり背中を何回か叩いた。背番号2の背中は振り向くことなく、「痛い痛いやめろ〜〜」と優しく叫びながら逃げて行った。今は猛省しているが、そのときはとても嬉しかった。

1991年。カープがV6を決めようとする試合を広島市民球場で、広島皆実高校を卒業したての級友たちと観戦していた。大野投手が抑えV6が決まり、盛りあがる球場で級友たちと抱き合い喜んだ。それから間もなく、その級友たちに見送られ、僕は子どもの頃からの夢を抱いたまんま上京した。

東京では広島で過ごしていたときと違い、テレビのスポーツニュースなどさまざまなところでカープの情報は激減した。それとともに順位も低迷し、ファンであることは変わらずも、チームの情報に乏しい数年が続いた。

僕は夢を叶えながら、日々、年々の変化の中を過ごしていた。

2011年。某月に友人から相談が。僕のファンでいてくれる夫婦の結婚式があり、そこで歌ってくれないかとのこと。快諾し、その年の11月、式の会場の廊下でギターを持ってスタンバイしていた。すると僕の前を横切る人がいた。

僕(なんか見たことあるなあ……)

目が合う。と同時に。その人が

「どうも福井です。CD聴いてます」

「!? ああ、ありがとうございます……っておい!福井くんじゃん! カープの福井くんじゃんか!!」

2010年にドラフト1位で入団し、2011年4月17日の巨人戦でプロ入り初登板・初先発し、初勝利を上げたりなんかしていた福井投手だった。実は結婚式の新郎はずっと野球に携わっていて、福井投手のお兄さんと親交の深い方だったのだ(そのことは式が終わってから知ったのでした)。そういう事情で福井投手も式に出席されていた。

一緒に写真を撮っていただき、「僕はカープファンで、もちろん福井くんも応援してるよ。チームの成績が振るわなくてもずっと応援してるよ」と言葉をかけた。福井投手は謙虚な言葉を返してくれたが、「カープの選手はみんな好きで応援してるから……福井くんにも期待してるし、応援するし、もう優勝してほしいし、もうずっと……うん、これから……」と、よくわからない興奮語を発して、その後はその興奮を引きずりながら、お祝いの曲を歌ったのだった。

2014年。ライブのために広島入りし、空いた時間に街を散策。広島市民球場がライトスタンドの一部を残して解体されたとネットニュースでしか見ていなかったので、実際に見てみようと向かった。「ああほんまにこんな感じになったんじゃのう」と思っていた僕の目線に飛び込む奇跡、古葉さん、古葉さんだ。

「ああ古葉監督が歩いとる」

さすがに、追いかけて背中は叩けません。声をかける勇気も出ずだった。

「僕、カープが好きです。今もぶち好きです」

そう思いながらライブハウスに戻った(最近見かけた古葉さんのインタビュー記事の中で、今も時々、市民球場跡地を見に行くんだという言葉があり、それをお見かけ出来たんだなあと感慨深いです)。

2016年。ここ数年、テレビでもカープの情報を見ることが多くなった。そして、ベテランと若手の融合、投打のバランス、様々な歯車が噛み合っての25年ぶりのセ・リーグ優勝。素晴らしいチームです。歓喜です。感涙です。言いたいこと、書きたいことは山ほどあります、が。

今シーズンの最後の試合までカープの戦いが見られること、勝利を願っています。


【著者紹介】

磯部正文(いそべまさふみ)●1972年4月15日、広島県出身。HUSKING BEEのボーカル&ギターとして活動するほか、CORNER、MARS EURYTHMICS、ソロプロジェクト磯部正文BANDなどでも活動を展開してきた。HUSKING BEEは12月7日にニューアルバム『Suolo』のリリースも決定!


【本企画に参加してくれた音楽界・エンタメ界の赤ヘルたち】
・石野理子(アイドルネッサンス)【10/4 UP】
・河原真(ROCK'A'TRENCH、BIGNOUN他)【10/5UP】

[耳マン編集部]