【就職活動】 掟ポルシェ『男の!ヤバすぎバイト列伝』第24回
本連載はニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」のボーカル&説教担当、DJ、ライター、ひとり打ち込みデスメタル「ド・ロドロシテル」など多岐な活躍をみせる掟ポルシェが、男気あふれるバイト遍歴を語る連載である。すべての社会人、学生、無職よ、心して読め!!
【第24回】就職活動
「就職採用試験でいくら人数が来てても問題ない。バカが8割だから、残り2割の争いでしょ?」
1991年、大学4年になり、本格的な就職活動を前にしてサークルの友だちに俺が言った言葉がこれだった。労働意欲ナマケモノ以下&どんなバイト先でも頑として縦の物を横にもしない無気力勤務で終始しかめっ面イヤイヤやってたくせに、「金を稼ぐためのどうでもいいクソバイトと人生がかかってる就職は別物」と都合よく捉えて、思い切り不遜な心持ちで就職活動に臨もうとしていた。なんかしらんが社会適応力の潜在的な高さに対して無闇な自信を持っていたようだ。実務経験はペンキ屋でエポキシ系塗料の一斗缶をカワスキで開けて硬化剤を入れて撹拌した程度しかなく、ほかは臨床実験でただ寝て起きてわけのわからない薬飲んで血抜いてなんの労力も払わず楽々大金を得ていただけなのにだ。「じゃあそろそろ俺の本気見せちゃいますか?」的な、「いよいよ世に問われちゃう俺……これはなんかすごいことになるんじゃね?」的な、まだバッターボックス立ってもいないのに日本シリーズ優勝パーティーのビールかけで使う用の水中メガネをアマゾンで検索する並の漠然とした未来を勝手に自分内確約していたのだった。マジで頭悪かったんだと思う。
とはいえ、バブル真っ盛りの当時は究極の就職売り手市場といわれ、体裁の良い就職口などレッド・ウォリアーズ地方ライブ後のダイヤモンド☆ユカイに群がるハメられ待ち女性の数程度になんぼでもあり、学生はダイヤモンド☆ユカイばりに「今日は、キミ!」と指差すだけでチンポがもげるほどに朝まで激ハメ連チャン出来てしまうような感じで内定がもらえ、アホみたいに引く手あまたでノー苦労な時代だったのも事実。俺が通っていたヘッコキ3流大学レベルですら本当にそんなんだった。だから、最初の行にある尊大発言もまぁ出るわっちゅう話である。大学で就職採用アンケートみたいなのがあり、そこで興味のある業種に◯をつけておくと、企業の方から勝手に「うちに入ってくれぃ!」という由のガツガツしたハガキが自宅アパートのポストが破裂するほど大量に届く。よく適当なウソを書く俺だが、これはあまり誇張していない。
高校のときからずっとなりたい職業は雑誌編集者だった。インターネット以前、あらゆる文化はテレビと雑誌を中心に展開・発信され、(サブ)カルチャーを担わんとする者は己の志向にあったメディアを持つ企業に就職するのが近道であり常套であった。エロ本のエロページ以外の部分に編集者の好き勝手が魅力的に炸裂していることもよくあり、そういう粋な蛮行に多大な影響を受けて育った。紙媒体としての本が一番売れた年だという1988年に北海道から(熊谷という地獄を迂回して)上京した俺が、雑誌編集部に入っておもいきりくだらないことをやりたいと思うのは、至極まっとうと言える。
というわけで、出版社に絞り会社訪問することに。講談社とマガジンハウス、それと英国『i-D』誌の日本版『i-D JAPAN』を創刊させたばかりの聞いたことのない出版社UPUの3社。いきなりエロ本出版社を受けなかったのは、まっとうな企業に就職することで親を安心させたいという気持ちもあったのだと思う。それにエロ本は給料安そうだし、全共闘上がりで就職口がなかったことでエロ本出版社しか働き口がなかった上司が山程いそうで、酒飲んだとき「君はバクーニンのアナキズムについてどう思うかな?」とか酒がまずくなりそうな話ばかりしてきそうで面倒くさくて嫌だし、という正当な理由もあってやめにした(一部実話)。
まず講談社だが、会社訪問会に行ってみたら意外とカタい文芸誌ばかり作っている出版社だとわかった(遅い)。ただでさえ小説とか読むのがダルいのでここはなしだ(事前に調べとくのが当たり前)。
そして実際に就職試験を受けたのは2社。マガジンハウスは大手出版社にしては無茶な雑誌ばかり出してる印象(『パンチザウルス』だけでマガジンハウスを判断している悪い例)。ここは受けるしかない。が、第一次の筆記試験で不合格。出版社のくせに一般常識問題なんかをやらされてわけがわからない。箸の持ち方もチャッキーが包丁振りかざすのと同じグー握りで右と左の区別も5秒ぐらい考えないと言えないという常識知らずな俺がそんなもん出来るとでも思うのだろうか。こっちから願い下げだ。
残るはUPUというよく知らない不気味な出版社1社のみ。『i-D JAPAN』は英国版のおしゃれな雰囲気を前方のページに提示しつつ、中を読み進むとバンドマンが入れてるわけのわからないいたずら書きみたいなタトゥーの特集とか、電気グルーヴがただひたすら毎月榎本俊二のスピリッツ掲載のギャグ漫画に「お前だよ、えの。つまんねえんだよ。死ねよ」と悪口を言うだけの連載があったり、「ドラッグの代わりにスコッチガード吸って死んだバカがいるって! アメリカってすげえのな!」という本当にどうしようもない海外ドラッグ事情ばかり教えてくれる赤田さんの酷いコラムがあったり、かなり攻めていた。ここなら俺のやりたい「一線を越えたくだらない雑誌作り」が出来るかもしれない。
あっさりと1次試験をクリアし、2次面接3次面接に。ここまで来てしまえば絶対に内定がもらえる自信があった。3次試験が雑誌の企画を考えてプレゼンするというものだったからだ。
俺が用意していったもの。『仏血義理』というどうしようもない誌名。コンテンツとしては、ホームレス同士の醜い殴り合いをパラパラ漫画で誌面の隅に入れ込むとか、平日朝~昼間のカタギの者がなかなか見れない時間帯のテレビ番組の面白さを伝える『TVは昼見ろ!』とか、原宿竹下通りに“不味いもの屋”と称した大判焼屋をオープンさせ、その新作メニュー(キャベジンをギチギチに詰めた健康焼&風呂場の排水口に詰まった髪の毛をそのまま詰めたゴミ焼等)を食べた町の人々の反応を写真漫画でレポするといった、映像でないと伝わりづらい『ゲロマズ飯 世界への挑戦』とか、なんでこんなもので自信が持てていたのか、いまとなってはいくら頭を捻ってもその理由がわからない。多分バイトでやっていたペンキ屋でシンナーを吸いすぎて脳細胞が大部分溶けていたのだろう。そうとしか思えない。
頭がおかしかったのは企画書だけではない。面接に臨むファッションも相当酷かった。親父が昔着ていたダボダボのスーツに開襟の柄シャツに金のネックレス+ダメ押しで白いエナメルシューズという一昔前の地回りヤクザ風ファッションで、両耳にピアスまで装着。「威圧感たっぷり! これで面接まで行けば“すごい奴来た! よし、採用!”となるはず!」と本気で思っていた。個性的ということを履き違えていることに気付かなかったようだ。書いてて恥ずかしくなってきた。
しかし、これだけ就職活動のマナー違反全部のせみたいなことをやったにもかかわらず、結果は見事採用。自分で言うのもなんだが、「あの会社の面接担当官、俺みたいなのホントに採っちゃって気が狂ってんじゃねえか?」と本気で思った。バブルの恩恵を受けたことがあるとしたら、こんなことやってたのに新卒で希望の職種に就けたということだろう。俺みたいなのになんらかの期待をかけても問題ないほどに出版業界は潤い、社会そのものが経済的活況故の乱痴気騒ぎの只中にあった。
翌1992年4月。俺は会社に就職した。そのときにはこれが人生最初で最後の正社員経験となることが、まだわかっていなかった。
【著者紹介】
掟ポルシェ
(Okite Porsche)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー、これまで『盗んだバイクで天城越え』ほか、8枚のCDをリリース。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『TV Bros.』、『別冊少年チャンピオン』など多数。著書に『説教番長 どなりつけハンター』(文芸春秋社刊)、『男道コーチ屋稼業』(マガジン5刊)がある。そのほか、俳優、声優、DJなど、活動は多岐にわたるが、なかでも独自の視点からのアイドル評論には定評があり、ここ数年はアイドル関連の仕事も多く、イベントの司会や楽曲のリミックスも手がける。