【大学時代にやったバイト・伝説のペンキ屋その7】掟ポルシェ『男の!ヤバすぎバイト列伝』第23回

連載・コラム

[2016/10/14 12:00]

本連載はニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」のボーカル&説教担当、DJ、ライター、ひとり打ち込みデスメタル「ド・ロドロシテル」など多岐な活躍をみせる掟ポルシェが、男気あふれるバイト遍歴を語る連載である。すべての社会人、学生、無職よ、心して読め!!


【第23回】大学時代にやったバイト・伝説のペンキ屋その7


 アホみたいにバイト代が高額で、出たい日に出ればいいなど時間の融通が利くという理由からか、高田馬場のペンキ屋の若手バイトにはバンドや音楽をやっている者が多かった。90年代初頭はまだ時代もユルく、バンドをやっている20歳そこそこのやつに社会性やモラルを求められることなど皆無だったため、パンクスピリットを都合よく解釈して自堕落の限りを尽くし、当日になって「やっぱしんどいから休みまーす」とか確実にアウトなチンタラ勤務態度でも、まぁなんとかなるっちゃあなっていた。

 どんだけいい加減にやっててもそうそうクビにならないこのペンキ屋で、ハッキリと戦力外通告を受けていたのが、当時スーパーダムというハードコアのバンドをやっていたイシグロくんだった。笑顔が抜群に魅力的で何とも言えない可愛げがあり、「あ(笑)、そうスか(笑)スンマセン(笑)」と斜め45度くらいの角度からクルッ!と振り返るように微笑まれると、大抵のことは許せてしまう。人に可愛がられる生来の才能、そしてそれを楽々上回るナメた勤務態度で、高田馬場のペンキ屋にどてらい風をさりげなく吹かせていた。

画:掟ポルシェ

 まず、朝はちゃんと来ない。このペンキ屋の定時は朝6時半事務所集合。そこからタウンエースに数人で乗り込み現場へと向かう。イシグロくんは当然のように6時半にはいない。俺も6時35分ぐらいになってからわざと息を切らしてゼエゼエ言って出勤するから人のことは言えないものの、イシグロくんの場合、遅れるのが10分20分の単位ではなく、こちらが事務所にいる時間に姿を表さないこともしばしば。不要に肝が座ったイシグロ時間で態度だけはそそくさと出社するが、呆れるほどの好景気で会社もウソのように儲かっていたせいか、営業のヒロシも腕毛をさわさわさせて「イシグロ! ダメだぞ!」と明るく言うだけでおしまい。変に顔色をうかがったりスネたりせず「スンマセンっした~(笑)」ととことんライトに言われると、しょうがねえなと思うのであろう。まぁ、どっちもおかしい。

 その日は俺も出勤。朝いつものように「スンマセ~ン(笑)」と持ち前の可愛げでなんとかごまかそうとグフグフ笑いながらイシグロくんが入ってくるかと思っていたら、結局車で現場へ向かう時間になっても現れない。本日も平常運転のようだ。

 仕事を終えて事務所に戻ってくると、若手バイト数名が何やら爆笑している。どうしたの?
 「イシグロ、クビになったって(笑)」。
 え! なんで!? いや、心当たりはありすぎるけど!
 「今日朝遅刻したじゃん。イシグロ、事務所来たの昼1時(笑)」。
 度胸よすぎだよ! 昼飯休憩すら終わってる時間だし!
 「で、いつもみたいにニコニコ笑って事務所入ってきて“スンマセ~ン(笑)”って言ったら、ヒロシに元気よく“イシグロ! もう明日から来なくていいぞ!”って(笑)」。
 ギャハハハ! そりゃそうだ! それでイシグロくんなんて言ったの?
 「“あっ、そっスか(笑)スンマセンっした~(笑)”だって(笑)。しょうがねえな~(笑)」。
 クビになってもニコニコ顔で帰っていったらしい。こんなに人を不快にさせないリストラ話はほかに聞いたことがない。その話だけでみんな笑っていた。人徳である。

 バイト先が一緒じゃなくなってもイシグロくんとの付き合いはその後も続いていた。当時、ボアダムスや山塚アイさんの周辺にいた人たちとは音楽の趣味も似ていて付き合いやすく、イシグロくんもそのひとりだったが、彼はなにより抜群に話がうまく、体験談を盛り上がるように構成し緩急つけて話すセンスに長けていた。ほかの人がしたらかなり凄惨に聞こえるであろう酷い話も、例のチャーミングなニコニコ顔で語るため、聞かされる方は誰も嫌な気持ちにならない。

 ペンキ屋をクビになってからというもの、イシグロくんはしばらく日雇いの建築現場などで働いていたようだ。当時、高田馬場駅近くの某所が寄せ場になっていて、そこで早朝拾われて車に乗っけられ工事現場へ行き、17時頃まで働いてその場で日当をもらう。よくある典型的なその日暮らしの日雇い労働を、若さに任せてやっていた。景気が良い頃だったので、大体どんな仕事でも日当一万円ぐらいはもらえるのが日雇いの相場であった。

 その日も朝トラックの荷台に体育座りで違法に積まれて日雇い労働に精を出し、夕刻、仕事終わりで親方から日当を手渡される。全員一万円入りの封筒をもらって帰っていた。が、イシグロくんがもらった封筒には3千円しか入っていなかった。
 当然「スンマセ~ン、あの、これ、3千円しか入ってないんスけど」と聞いてみたところ、初対面の下品な顔つきの親方はとんでもないことを言い出した。
 「お前は、◯◯◯だから日当3千円だ!」
 な、なんじゃそれ!? レイシストなんて言い方も日本では広まってなく、いまより全然人権教育が浸透していない四半世紀ほど前、あからさまな差別も横行していたとはいえ、当時にしたってその理由はムチャクチャだ。イシグロくんは「何言ってんだよ! 俺、日本人だよ!」と事実を再三伝えたが、その下品な顔つきの親方は聞く耳を持たず、
 「嘘をつくな! お前は◯◯◯だ! 顔を見ればわかる!」
 の一点張り。もう理由がメチャクチャすぎて話しにならず、結局イシグロくんは3千円しかもらえなかったそうだ。いまなら労働基準監督署に駆け込むなりすれば、とか訴えを起こすことも考えるだろうが、なにせまだ10代でそこまで頭も回らなかった。
 「マジで3千円しかもらえなくて! 俺、チョ~むかつきましたよ~」と話す彼の顔は、何故かニヤニヤしているように見えて、こんな劣悪な労働条件の話ですら、現場酷イイ話として話していてさすがだった。どんな話も嫌味でなく伝えられる優れた伝達能力は、(そのうちもっと広い世界でなんとかなるんだろうな)と、漠然と思わせるに十分であった。

 その後、イシグロくんはどうなったかというと、ヒップホップグループ“キミドリ”を立ち上げ、MC KURO-OVIとして90年代初頭の日本のヒップホップ界で暴れ回り、本当になんとかなってしまった。同時期よりグラフィックデザインチーム“イルドーザー・グラファック”の一員としても活動。『DJロマンポルシェのNEW WAVE愚連隊』シリーズなどのジャケットデザインでいろいろ仕事も一緒にさせてもらった。俺が言うまでもなくデザインのクオリティも相当なものだが、仕事のスピードは恐ろしいまでに遅く、納期に度を超えて遅刻しまくっていたのも、なんともイシグロくんっぽいのであった。

 そして、CGの仕事をするために当時の最新機種QUADRA 800とその他周辺機器一式を120万円のローンを組んで購入したら、買って一週間ほどでPOWER MACINTOSHシリーズの発売がアナウンスされ、「そりゃねえよ……」と目を丸くし呆然としていたのも、なんともイシグロクオリティのオチが付いて笑ってしまったのであった。物を購入する時期だけで人を笑わせるなんて、才能としか言いようがない。

 時は、1991年。大学4年になる俺は、そろそろ真面目に就職活動しないと親にブッ殺されるだろうなと思い始めていた。会社訪問などという一般的な大学4年生らしいことをやるため、次第にペンキ屋バイトから足が遠のいていった。シンナーの甘い香りともようやくお別れ。

毎日CARCASSばかり聴いていたことがよくわかる、それらしいファッションで記念撮影。木造モルタル2階建てのアパートの窓が割れるほどの爆音で聴いていたため、2階に住んでいた立派な仏壇が窓から見える某新興宗教団体信者の若者から、明らかに反撃の意味を込めてお経のテープをフルボリュームで聴かされていた。お手手のシワとシワを合わせてファックオフ!


<次回、【就職活動】へと続く>

【著者紹介】

掟ポルシェ
(Okite Porsche)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー、これまで『盗んだバイクで天城越え』ほか、8枚のCDをリリース。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『TV Bros.』、『別冊少年チャンピオン』など多数。著書に『説教番長 どなりつけハンター』(文芸春秋社刊)、『男道コーチ屋稼業』(マガジン5刊)がある。そのほか、俳優、声優、DJなど、活動は多岐にわたるが、なかでも独自の視点からのアイドル評論には定評があり、ここ数年はアイドル関連の仕事も多く、イベントの司会や楽曲のリミックスも手がける。

<掟ポルシェ今後の予定>


---------------------
2016.10.22(土)
『COSMIC E3!!!』

[耳マン編集部]