【大学時代にやったバイト・伝説のペンキ屋その5】掟ポルシェ『男の!ヤバすぎバイト列伝』第21回

連載・コラム

[2016/9/9 12:00]

本連載はニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」のボーカル&説教担当、DJ、ライター、ひとり打ち込みデスメタル「ド・ロドロシテル」など多岐な活躍をみせる掟ポルシェが、男気あふれるバイト遍歴を語る連載である。すべての社会人、学生、無職よ、心して読め!!


【第21回】大学時代にやったバイト・伝説のペンキ屋その5


 社会には底辺が存在する。そしてなんとなく、その底辺とはここいら辺のことなのではなかろうかと、この品格無縁のペンキ屋に出勤するたびうすうすわかってしまっていた。「こんなのと一緒に働くのか」という精神的苦痛と、「こんなのでも職人である以上俺よりヒエラルキー的に上で、俺の倍の職人給もらってんのかよ」という絶望的現実に同時に苛まれ、なおかつ「こんなのの中の一番下=最底辺」に甘んじなければならない最悪の真実にゲッソリしていた。
 “下には下がいる”……そう思うことで心の安寧を得るしかなかった最低なあの頃。自分より仕事の出来ない者を意地でも見つけ、心の中で全力で蔑むことによりなんとか人としてのプライドを保つという、最底辺ならではのバリバリの志の低さ。いや、このペンキ屋で俺よりもっと酷いのがいる! ということを書き殴って、今回も自分の使えなさに目をつぶることにする。すまん!

 このペンキ屋で一番使えない職人として逆評判だったのが、A井さん(仮名にしないと書けないぐらい酷いのでしょうがなく仮名)である。年齢は恐らくその時点で40歳ぐらいで、この会社では中堅どころにあたる。どこの世界にもたまにいる「顔立ちは整っているのに驚くほど頭が悪くてなんの仕事もさせられない」人で、例えるなら「森田健作をペヨーテの搾り汁をビッチリ入れた瓶に3日ほど漬け込んだ感じ」という表現がジャストのダウナー系職人である。シンナーを吸う吸わないに関わらずいつも目は半開き、仕事は人の半分以下しかできず、その癖余計な一言だけは忘れず、周囲に「なんだお前」と思わせる能力にだけ目を見張るものがあった。ペンキを希釈するウレタン系シンナーの一斗缶を開けるときも、慌ててガチャガチャやるためシンナーがはねて目に入り、「ヒャッ!」と生き物として弱いことを証明する奇声を上げる(もちろん水道に目を洗いに行ってしばらく戻ってこない)。A井さんと一緒の現場に入っている日は仕事の進みが悪くなることを朝一覚悟する必要がある。「大事な現場にA井は入れんな」が職人たちのほぼ総意であった。俺もまぁ使えないことにかけては自信のあるクズバイトだと自分でも思うが、仕事をナメている俺が仕事ができないのは当然であり、全力でやって足を引っ張るA井さんよりはマシ、くらいには思っていた(お前が言うな的宣言で失礼します)。


 あるとき、A井さんと一緒の現場に入った際、A井さんに直接こんな質問をしてみた。
 「A井さんは、このペンキ屋に入る前、なんの仕事をしてたんですか?」
 こんだけ使えない奴をわざわざ給料まで出して雇用する奇特な職種ってほかにあんのか? という純粋な興味が沸いてきたのである。ああ、家事手伝いだよ! くらいの、聞く方もすまない気持ちになる答えを覚悟しながらの質問であったのだが、ハツラツとした口調で返ってきた答えは、予想の斜め上を行く信じられないものだった。

 「俺か? 俺ぁ、アレだよっ、コンピューター関係だよっ」

画:掟ポルシェ

 ちょっと待て! 答えた本人自覚ないけどなんかいまとんでもねえこと言ってるぞ! 1990年代初頭、コンピューターはいまと違って各家庭に一台あるようなものでは到底なく、パソコンとそれに付随する通信環境を持つ者は知識階級か好事家か専門職の人間に限られていた。知識のない者が軽い気持ちで買えるシロモノではなかった時代、コンピューター関係の仕事をしていただと!? もしかしてバカに見えてプログラミングとかだけに特化した才能があったりすんのか? 日本語も曖昧なのにLinuxソースは読めたりとか? A井さんなのに? そのとき、一瞬にして俺の中でA井さんを見る目が変わった。やはり人間、なにかしらの才能を持ってこの世に生を受けているのだと。その才能が発揮される場所に居続けられるかどうかは、残酷な話、運命でしかない。もしかしたらスーパーコンピューターへのハッキングなどがバレて職種変更を余儀なくされ、いまこうしてペンキ屋に甘んじているのかもしれない。人は見かけによらないものだ。その実例を見てしまったのだと思った。いままで散々(近寄ると運気が淀むからお前あっちいけ!)ぐらいに思っててすいませんでした! 態度にも全面的に出しちゃってて(A井さんに対してだけはたまにタメ口をまぜてたので)申し訳ないです!
 そして、俺は興味の向こうにある真相の砦に、恐々手を伸ばすことにした。で、A井さん、コンピューター関係って……一体どんな仕事やってたんですか? と聞くと、自慢気な表情を浮かべてこう言った。

 「俺ぁアレだよ、コンピューター入れる箱あんだろっ? ダンボールの。俺、アレ作ってたんだよっ」

 …………胸を張って答えた横顔は、とてつもなく凛としていた。一切笑わせようとしていなかったことがわかったときは、ちょっと恐怖を感じた。そ、そうきましたか……。
 確かにだ、コンピューターを入れるダンボール箱がコンピューターとまったく無関係だとは言わない。しかし、厳密にはそれは「コンピューター関係」ではなく「ダンボール関係」だ! きっと、そのことを「ダンボール関係」ではなく「コンピューター関係」と言い切れば通る、そして軽いリスペクトさえ得られると思っていたのだろう。もしかしたら、あの使えないことこの上ないA井さんから、「コイツにこう言っときゃ尊敬されちゃうかもしんねえナ!」ぐらいに思われていた可能性も否定出来ない。アレ? 俺もしかしてものすげえナメられてる!? もしかしてバカにしていたはずのA井さんから「俺、コンピューター関係!→なっ、スゲエだろ!?→おめえはA井派の下っ端にしてやってもいいかんナ!」ぐらいに思われてない!? このマジックマッシュルームの入ったカレーをかけつけ三杯食ったようなほっこりニセ森田健作が、俺をマウンティングの対象にしているような気がしてきたので、その日の午後の仕事はA井(もう呼び捨て)に対してだけ全面的にタメ口で通した。油断も隙もあったもんではない。今後A井がなんか言ったら全部「あ?」と返すことにしよう、そう心に決めてその日の現場を終えたのだった。あの野郎、A井のくせに!(実務能力的には俺より上)。

 1991年、IT革命前々々々々々々々夜。コンピューター産業とダンボール産業の違いがわからない無邪気過剰な大人にさえ潤沢に仕事があるほど、まだまだまだまだ世は好景気に沸いていたのだった。景気はあの頃に戻して欲しいが、あのペンキ屋にタイムスリップしてまた働くのだけは、2、3回死んでも勘弁してもらいたい。

海外旅行中、イギリスで肉屋のトラックを発見して大喜びで記念撮影。気分はカーカス! 時代はパーシャル!


【著者紹介】

掟ポルシェ
(Okite Porsche)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー、これまで『盗んだバイクで天城越え』ほか、8枚のCDをリリース。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『TV Bros.』、『別冊少年チャンピオン』など多数。著書に『説教番長 どなりつけハンター』(文芸春秋社刊)、『男道コーチ屋稼業』(マガジン5刊)がある。そのほか、俳優、声優、DJなど、活動は多岐にわたるが、なかでも独自の視点からのアイドル評論には定評があり、ここ数年はアイドル関連の仕事も多く、イベントの司会や楽曲のリミックスも手がける。

[耳マン編集部]