【大学時代にやったバイト・伝説のペンキ屋その6】掟ポルシェ『男の!ヤバすぎバイト列伝』第22回
本連載はニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」のボーカル&説教担当、DJ、ライター、ひとり打ち込みデスメタル「ド・ロドロシテル」など多岐な活躍をみせる掟ポルシェが、男気あふれるバイト遍歴を語る連載である。すべての社会人、学生、無職よ、心して読め!!
【第22回】大学時代にやったバイト・伝説のペンキ屋その6
どんな人間でも、生きている間に一言ぐらいは名言といえる台詞を吐くものである。そしてそのうっかり飛び出た金言は、小賢しい逡巡などとは無縁である澄んだ瞳のブルーカラーズが何気なく言ったものだからこそ、清々しくかつ力強く心根のいい塩梅のところに響く。中卒は大卒が到底辿り着かない真理に見事にまっすぐ着床する。
このペンキ屋の若手バイトたちも、価値観の違いをちょくちょく見せつけるようなシビレる言葉のタマキンを会話の端々でポロリしてしまっており、なんとも気が置けなかった。
明るく気のいいT本君は、人間が非常にシンプルで裏表がないため誰からも好かれていた。他のチンタラバイト(つまり俺)と違って月曜から土曜までひたすら精勤にあの底辺ペンキ屋で働いていたのは、日曜日に彼が人生のすべてを賭けているが故だった。T本君は競馬が趣味、いや、人生のすべてだという勢いで、その収入のほぼ全額を四足歩行生物の競争にぶっ込んでいた。
御存知の通り、競馬は統計データや馬の性格云々の各種要素を研鑽し答えを導きだすものであり、研究熱心さが殊更求められるため、射幸心のみグーンと突出しているものの当てるための努力はダルいので一切したくない俺みたいな者には不向きな、真面目な人向けギャンブルである。それに加えて日曜日の決まった時間に出かけなければいけないというのも最高にダルいポイントであり、射幸心は性欲並に突発的に盛り上がるものだと思っている身としては、どこの駅前にも必ずあってムラッと来たらすぐ行けるパチンコで十分(そして毎度完膚なきまでに惨敗→丸井の赤いカードでキャッシングしてなんとか生活のバッドローテーションに死相を浮かべる)。故に競馬はいまもまったくやらない。
第一、日曜日はせっかく出来た彼女と乳繰り合えるベストセックス曜日なのである。そんな週に一度しかない最重要チンピクデーに、女ではなく馬の尻を追いかけるとはどういう了見なのか。他人のことながら腹立ち半分で、T本君と飲んだときに聞いてみた。
以前は彼女がいたのだそうだが、面倒くさくて数年前に別れてそれきりなのだという。せっかくの休日、女の子をデートだと言ってダマして競馬場に付き合わせるのには限界があったようで、心置きなく競馬に専念するため自分から別れたそうだ。えー! 日曜は昼間っから彼女とセックスの方が全然いいんじゃないの!? そっちの方が健全な青春の費やし方ってものじゃん!? 自己中心的な俺の問いかけに対し、T本君は腕組みをし、些か余裕の微笑みのようなものを浮かべてこう言った。
「女と馬なら、迷わず馬だな!」
その表情は圧倒的に嘘がなく、故に清々しかった。「迷わず」、だ。そこまで清らかな面持ちで言い切られると、異を唱える方が野暮だと、頭ではない部分で納得するものだ。世の中には女体よりも馬体の方が好きな人がいるのだということを知った。好きなものへの熱意がいつも安々と性欲を凌駕している様に惚れ惚れとした。俺には死んでも言えない名言である。
M君は北海道から出稼ぎでやってきた人の良さそうな朴訥フェイスの若者。同い年だが、バンドマンだらけのペンキ屋若手陣とは別枠の生息圏に属し、レンタルレコード店でなんとなく借りたチャゲアスを5年遅れで垂れ流しで聴いているような、いわゆる「普通の人」だ。人畜無害そのもののぼんやりとした一重瞼の笑顔+90年代初頭でまだ初期近藤真彦風に前髪の片方を上げてスプレーで固めるのが唯一のおしゃれという、まぁハッキリ言ってしまえば、温厚なだけが取り柄の糞ダサくてモテ要素ゼロの好青年である。彼のことを好きか嫌いかとかは特になく、唐草模様の風呂敷が猛烈に似合いそうだなぐらいの認識しかなかった。とにかく、まぁ悪い奴ではない。
ここのところ貼っている昔の写真は、91年に一ヶ月間に渡り当時付き合っていた彼女と海外旅行へ行ったときのものだが、帰国後ペンキ屋バイトに入った際、どこからか噂を聞きつけたM君と現場の休み時間にその話になった。
「高橋君(俺の本名)、しばらく海外旅行行ってたんだってかい? すごいしょや? どこどこ行ったの?」
M君は同郷なこともあるのか、俺には北海道弁全開で朴訥過剰に話す。相好を崩した顔で話しかけてくるのでダサいヘアスタイルでも邪険に扱ったりせず、詳細を丁寧に伝えた。
「お金もかかったしょ?」
文化圏が違う者同士でも、金の話なら誰しも興味の範疇。臨床実験ボランティアの連投試験で入ったあぶく銭を全部ぶっこんで、なんだかんだで50万ぐらいかかったことを伝えると、
「じゃあ、彼女の分も含めて全部で100万だね!」
と、多少羨望の眼差しで返ってきた。実際彼女の分を出すという男社会の掟的発想もなく、また現金もないので徹底的にワリカンだったが、面倒臭いので「そうだね」とだけ返しておいた。
すると、M君はう~ん、と唸って感慨深そうに、こんなことを言い放ったのだった。
「100万円かい! すごいね! でも、俺だったら100万あったら……飲みに行くな!」
度を超えて貧困な発想による究極の選択の宣言に度肝を抜かれた。
(すげえ! こいつ100万円あっても「おねえちゃんのいる店に飲みに行く」という使い道しか思い浮かばないんだ!)
そう思うと、ちょっと震えた。気前がいいというのとは違う。何に金を使うかは当然個人の自由だとはいえ、高級クラブやキャバクラで散財する以外の使い道がほかに思いついていないという、文化から隔絶された発言の爽快さに感動した。なんというか、猛烈にかわいいことを言うなぁと。かわいいとは、ちっぽけなことを声高に言い張れる、世界の狭さに無自覚である無垢な精神を言う。まるで子供が大金持ちになったら100万円分うまい棒を買う! と宣言するのと同等の、こちらを決して脅かさない微笑ましさに溢れており、この一言で一気にM君のことが好きになった。まぁ好きになったとは言っても、M君のことはこの話以外一切覚えてないが。このときのM君の言い切ったときの表情はいまもたまに思い出しては、『志村どうぶつ園』や『はじめてのおつかい』を見るような気持ちになっている。心温まりたいときに最適だ。
職人のオヤジだけでなく、このペンキ屋の若手たちもヌケが良い手合が集まっていて、背筋に花椒をふりかけたようなカルチャーショックを何度となく与えてもらって最高なのであった。
ダウナードラッグはシンナーだけではない。人間の持つアシッドパワーにこそ、たまらないものが宿っているのだ。
コーラを飲んでゲップを出し、胃にたまったシンナーを吐き出すというペンキ屋オリジナルの健康法をバイト全員でやって、ゴエエエ、ブロロロ、と汚い呼気のハーモニーを高田馬場の空に響かせた。どうしようもない気持ちになった。
【著者紹介】
掟ポルシェ
(Okite Porsche)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー、これまで『盗んだバイクで天城越え』ほか、8枚のCDをリリース。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『TV Bros.』、『別冊少年チャンピオン』など多数。著書に『説教番長 どなりつけハンター』(文芸春秋社刊)、『男道コーチ屋稼業』(マガジン5刊)がある。そのほか、俳優、声優、DJなど、活動は多岐にわたるが、なかでも独自の視点からのアイドル評論には定評があり、ここ数年はアイドル関連の仕事も多く、イベントの司会や楽曲のリミックスも手がける。