【正社員として入社が決まった会社の内定拘束式】掟ポルシェ『男の!ヤバすぎバイト列伝』第25回

連載・コラム

[2016/11/11 12:00]

本連載はニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」のボーカル&説教担当、DJ、ライター、ひとり打ち込みデスメタル「ド・ロドロシテル」など多岐な活躍をみせる掟ポルシェが、男気あふれるバイト遍歴を語る連載である。すべての社会人、学生、無職よ、心して読め!!


【第25回】正社員として入社が決まった会社の内定拘束式


 最悪にナメた心構えで就職試験を受けたにも関わらず、「お前、個性的でいいな!」となんかうまいことポジティブに受け止められ、見事UPUなる聞いたことのない不気味な出版社に新卒で採用となった。自分のことながら「こんなの(俺)雇って大丈夫かこの会社」と思ったが、ここ以外の会社受かんなかったし、かねてより希望職種だった雑誌編集に関わることが出来るということですんなり入社の意思を固めた。

 いまもきっとあるのだと思うが、当時は内定拘束式というのがどこの企業でも大々的に行われていた。もっとも就職売り手市場だった時代故、優秀な人材を他社に持っていかれないように、どっかのパーティー会場みたいなところに呼ばれ、それなりの酒と旨いものが振る舞われ、この会社入ったらイイことあるよん!的な思いをさせるのが目的だ。

 自分以外の入社予定新入社員と初めて顔を合わせる。パッと見、どいつもこいつも着せられているようなスーツがまったくしっくりきていない普通の大学生のアンちゃんばかりだ。(こいつら全然使える気がしねえな)と、中野のマルイで仕立てたライトグレーのテーパードスーツにヤクい黒Yシャツ+サンローランの蝶々柄のネクタイに凶器シューズのように先端が尖ったエナメル靴を履き、ひとり不用意にギロッポンのチャラ箱のドレスコードをクリアしていた俺は、勝手に心のなかで勝利宣言していた。気分はいましろたかし『ハーツ・アンド・マインズ』に出てくる谷脇省吾。オーディナリーな面構えの21~22歳の集団を前にして「呑んだ! 勝った! 完・全・に!」と思い込んでいた。何故入社前に同期を威圧する必要があると思っていたのだろう。自分で言うのもなんだが、相当下品で知恵がディレイしていた。

 社会に出るということは、趣味や感覚の大幅に合わない者とも一緒にやっていくということでもある。これらパンピーアンちゃんネエちゃんたちとも仲良くやっていかねばしょうがねえな(すごい失礼)と思い、とりまフレンドリーに話しかけてみることにした。あ、あの女の子がしてるソ連製の赤いデジタル腕時計見たことあるな。ねぇ、それ新宿のモザイク坂にある店で売ってるやつでしょ? とフランクに話しかけてみたところ、途端鬼の形相に変貌。

 「こ・れ・は! 青・山・で、買ったのよ! 新宿のなんかと一緒にしないで!」

 と何故か声を荒らげ全力否定。汚いものを見るような目でこちらを一瞥し、会場内の俺から一番遠い場所へ移動してしまった。1991年当時の青山は最先端人間が集うおしゃれスポットとして名高く、新宿はスポーツ新聞を丸め鉛筆を耳に挟んだパンチパーマの男性が痰を吐き散らしている雑シティだったとはいえ、どこで買おうが同じ商品には違いなく、こんな田舎者丸出しのバカと一緒の会社に入んのかと思うとクラクラした。

 マスコミは当時おしゃれな業種だったからか、ここに入社しなかったら絶対に出会わなかったであろうおしゃれ人間が数名いることに気付いた。青山時計バカ女の他にも、大正時代の新聞記者みたいなファッションでビシッとキマった眼鏡に散切り頭の男性新入社員がいて、彼の話も壮絶であった。

 「やっぱり家具はイームズだね。座り心地が違うし、美術品として眺めているだけでもいい。部屋の内装も50年代のアメリカ風に統一しててさ、洗剤なんかもアメリカ製にこだわって揃えてるんだよね」。

 宇宙人を見ているようだった。常日頃『HOT DOG PRESS』などのおしゃれな部屋特集みたいなのを見て、「こんなおしゃれ優先で収納もなにもなくてエロ本一つ置いておけない家、実際に住んでる奴いねーだろ」と思っていたが、彼の家は本当に雑誌で見たエロ本の置き場のないおしゃれハウスそのもの(話で聞いただけだが)だった。部屋の模様替えにバイト代のすべてを突っ込むおしゃれライフみたいなものは雑誌のなかの世界の出来事であって、そんなもん講談社の編集者が勝手にでっち上げているんだと信じて疑わなかったが、本当に実在しているんだというのを目の当たりにしてかなりのショックを受けた。そりゃあ人がどんな趣味を持とうが金をつぎ込もうが構わない。問題は、まったく理解できない感覚を持ったこれらの人種と同じ団体にこれから所属するということだ。俄然、うまくやっていける気がしなくなってきた。

 脱力感に襲われている場合ではない。こんな極端なやつ(※自分のことはおいといて)は数人だけだ。あちらで男の新入社員が集まって何やら話しているので行ってみよう。

 どうやら彼らは弊社唯一の雑誌『i-D JAPAN』の話をしているようだった。俺自身、雑誌としてはデタラメな企画をバンバンやっていてそれなりに面白いと感じていたが、話の焦点はそこではなかった。比較的まともそうな顔のアンちゃんが多少眉をしかめ口を開いた。

 「昨日さ、今月号の広告ページの数、俺数えてみたんだけど、○○ページしか入ってないんだよ。創刊号は△△ページ広告が入ってたのが激減してるんだよね。雑誌は基本広告収入で利益出すわけでしょ? 定価380円だと実売部数がいくら売れてもあまり意味がないだろうし。この本、ヤバイんじゃないかな」。

 考えたこともなかった。文化価値として内容を云々するのではなく、商品価値として自社の出版物を危惧していたのだ。このアンちゃんが小声で口火を切ってから、雑誌と広告営業に関する議論が男性新入社員間でなされた。まったく入っていけなかった。彼等はアンちゃんではない。この企業の未来を入社前から真剣に議論するだけの頭脳を持った、社会人としての資格十分の者たちだったのだ。着てるYシャツの色味とかで周囲を圧倒しようと考えていた自分が急に恥ずかしくなってきた。適当に相槌を打つのが精一杯で、話の輪からそっと退いた。

 (アレッ、もしかしたら俺、社会人としては使えない方なのかも?)

 嫌な予感に苛まれつつも、編集部にさえ入ってしまえば、営業のことなど考えなくて済むわけだし、「まぁそっち(営業努力)は得意な奴がやればいいんであって、俺は雑誌編集部に入って企画力で勝負するんだ」という言い訳を優先することで自分を守った。

 明けて1992年4月1日。株式会社UPU入社。晴れて正社員となった。これより2ヶ月間は試用期間として、希望の部署以外の仕事を経験することになる。俺が希望していたのは『i-D JAPAN』の編集部であったが、試用期間は営業部に配属が決まった。まぁしばらく社会経験を積むのも悪くない。ちなみに青山時計バカ女は内定を蹴って他社に就職したようだ。本当によかった。あんなのと一緒にいたら脳が腐る。

 そして4月1日といえば、社内での人事移動が施行される時期でもある。入社したばかりのその日、俺は嫌な人事情報を耳にする。『i-D JAPAN』が広告収入の不審による赤字を理由に、編集部員の人員を20名から5名に大幅削減されていたのだ。

 (あのアンちゃんが内定拘束式で言っていた通りだ)。

 憧れの職業である雑誌編集者への第一歩を踏み出そうとした矢先、眼前に広がっていたその道は既に陥没寸前であった。

入社直後の花見の様子。こんな格好で試用期間ずっと通した。営業部の先輩からしたらこんなの連れて会社回りするのは最悪だったであろう。隣の女性は昔関西で“乳首見せんなヘソ噛んで死ね”というバンドをやっていた安保さん。このほか同期には現ヤフー代表取締役社長の宮坂学氏もいた。妙な方向に豪華


【著者紹介】

掟ポルシェ
(Okite Porsche)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー、これまで『盗んだバイクで天城越え』ほか、8枚のCDをリリース。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『TV Bros.』、『別冊少年チャンピオン』など多数。著書に『説教番長 どなりつけハンター』(文芸春秋社刊)、『男道コーチ屋稼業』(マガジン5刊)がある。そのほか、俳優、声優、DJなど、活動は多岐にわたるが、なかでも独自の視点からのアイドル評論には定評があり、ここ数年はアイドル関連の仕事も多く、イベントの司会や楽曲のリミックスも手がける。

[耳マン編集部]