【ビルの窓拭き・その2】掟ポルシェ『男の!ヤバすぎバイト列伝』第37回
本連載はニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」のボーカル&説教担当、DJ、ライター、ひとり打ち込みデスメタル「ド・ロドロシテル」など多岐な活躍をみせる掟ポルシェが、男気あふれるバイト遍歴を語る連載である。すべての社会人、学生、無職よ、心して読め!!
【第37回】ビルの窓拭き・その2
高収入だからというだけでなんとなく選んだビルの窓拭きのバイトは、実に性に合っていた。肉体労働は慣れてくると手と頭が別に動くという利点があることに気がついたのだ。地上8階建てのビルからロープを2本垂らし、そこにくくりつけたブランコに乗ってシャンプーとスクイジーを使って窓を磨いている最中でも、慣れれば脳は危険を感じることはまったくなく、業務内容と全然関係ないドいやらしいことを考えていたりしても問題なし&地上に降り立った瞬間勃起が収まらず恥ずかしい思いをすることさえ可能。安心して仕事に無関係なあれやこれやを考える精神的ゆとりが出来たことで、後に始めることになる自身のバンド・ロマンポルシェ。の構想や曲のアイデアを練ったりして、結果世に出るきっかけとなったのだから、人間何がうまくいくかわからないもんである。
フリーターという言葉が定着してきた時代で、職場にいるのは「将来設計とか特にないけどないとダメっスかねえ」程度のチャラっとした心持ちの若者ばかりだったが、かといって勤務態度が悪いかというとそうではない。仕事は要領よくチャッチャとやって早く飲みに行こうぜ、というモチベーションで快活に働いている奴が集まっていたので、それに引っ張られたのか俺も次第に真面目に働けるようになっていた。上司も2、3歳年上の若い社員が数名で、世代格差から生じる違和感もなく、普通に和やかに世間話を合わせられる好人物ばかり。普通の会社ってこんなに快適なのか! これまで行ってた劣悪ダウナー人物多数在籍の底辺ペンキ屋とか、センスと人間性両方がゴミで存在として汚泥以下の編プロの社長とか、あの社会の便槽みたいなうんこ会社の数々は一体なんだったんだ!
……そうか、あれが「人生勉強」というやつか。歳上なだけで一切尊敬できない人間、あるいは人間の形をした気味の悪い何かに囲まれて余計な回り道をしたことで、人のふり見て我がふりガッツリ修正出来て、ナメた心持ちで仕事に向き合うことなどなくなった。バイトの身ではあったが、ようやく自分が社会人になれたのだと実感した。適度な試練は人を作る。
1年も経ったころには、次第に現場を任されるようになっていった。腰の低さ&生来の可愛げ+その場限りのいい人感には自信があったため、特に面倒くさいと言われる人のところへ送り込まれるようになったが、ポイントをついた清々しい慇懃さを込めて接すれば偏屈ババァみたいな人ほど気に入ってもらえた。ババァからはとにかくよくお菓子をもらった。俺だけ。己の身の振りが精錬されていくのを感じる瞬間であった。
やることはガラスを拭いて綺麗にする、基本的にそれだけだから腕も日増しに上がった。カレー屋を経営している日本語が堪能な外国人タレントさんの事務所の窓ガラス清掃へ行ったとき、多少レトロな作りで、昭和40年代に流行ったおしゃれな丸型の窓だった。ご存知のように基本窓は四角形なので、丸型の窓を拭くのは多少技術を要する。日本文化にも精通した外国人タレントさんが見ている眼の前で、丸型の窓を2ステップの簡単な所作でスパッと拭いたらいたく感動していただいた様子で、「へえ~! 餅は餅屋だね!」と言っていただいた。おもいきりインド人なルックスから流暢な日本語でことわざ的なアレが飛び出てきたときは、なんか変な気持ちなのであった。
窓拭きのバイトに腰を落ち着けたことで、何が嬉しかったかといえば、固定収入が毎月20数万円入ってきたこと。定収があるというのは本当に、いい。最高だ。で、毎月ある程度の金額が振り込まれてきたところで、俺にはどうしてもやらねばならないことがあるのを思い出し、直ちに実行に移した。そう、中古シンセサイザーのローン購入である。無職時代にたまった借金の返済とか、そんな眠たいことをしている場合ではない。
中古のアナログシンセサイザーを買わねばいけないと強く意識したのは、そのころ流行っていたテクノのトラックを作りたかったからだ。
80年代ニューウェイブ育ちで電子音が何より好きだったので、テクノにはすぐ飛びついた。穴をくり抜いただけの簡素なジャケットの12インチアナログレコードも山ほど購入&海外のテクノアーティストの来日公演やDJで踊るためクラブにも行くようになった(当然アコムで借りた金で)。そうなると次には「俺もトラック打ち込みしてえ!」となるのが人情というもの。イシバシ楽器で中古のアナログシンセROLAND JUNO6をローンを組んで買い、初めて家で音を鳴らしたときは、自分の出したかった電子音を簡単に作ることができて高笑いしたのを、昨日のことのように覚えている。
1994年当時、テクノは大変金がかかる音楽だった。まず、テクノアーティストは基本1人(多くても2人程度)で曲の制作を行う。つまりバンドみたいに自分のパートの楽器を買うだけではダメで、録音も自分の家で行うものだったため、最低でもアナログシンセ2台(中古で安くて一台5万円)+ドラムマシン(ROLANDのTR909かTR808、またはその音が出る他の機材)+ミキサー(MACKIE 1604等の16chのもの)+録音機器(当時はDATが主流)+無数のエフェクター類+それらを同期演奏するためのシーケンサーと、最低でもこれだけのものが必要で、全部中古で運良く揃えられたとしても安くて50万円くらいは軽くかかるという、本来貴族とかしかやっちゃいけない類の音楽なのである。
プリセット音しか入ってない新品のデジタルシンセでテクノを作ることはほぼ不可能に等しく、従ってイシバシ楽器などの中古楽器屋にバカみたいに日参して中古シンセの入荷をチェックするようになった。
アナログシンセは見かけたら即ローンを組んで買わないといけない。YouTubeもない時代、どのシンセからどんな音が出るかは実際に触ってみないとわからないということで、持ってないシンセを中古で見かけたら本当に全部買って音を確認していた。そして数日触ってみて音があまり好みではなかった場合、あっさりまた楽器屋の中古買い取りに持っていく。もう手元にないシンセのローンだけ払ってるとかよくあった(中古で売っぱらったシンセの金は酒飲んだりしていたためか気付いたらなくなっていた。不思議)。そんなことを繰り返しているうち、瞬く間にシンセローンだけで数10万円の借金が新たに我がマイナス経済仲間入り。女子プロレス観戦時代の借金を火種とし、シンセローンがドドンと追加され月々の支払い額が月収に迫る勢いで逆・大躍進。アコムから借りた金も金利だけ返してジャンプする状態に徐々に逆・ステップアップ。「取り返しのつかない状態ってこういうことか」と実感していた。
ぼんやりと死が近づいていることを意識するほど借金した甲斐あってか、1995年になるころには曲を作るのに十分な機材が中野の6畳一間のアパートにあった。さぁ、テクノのトラックを作ってみようとやってみたところ、これがまぁ、なんというか、ハッキリ言って、才能がなかった。
テクノという音楽は特殊である。「その楽器特有の鳴りとタイム感」をそのまま鳴らすことで成立することがままあり、乱暴な言い方をしてしまえば、ローランドのベースシンセTB-303とドラムマシンのTR-909を同期演奏さえすればそれなりのアシッドハウスができてしまう。逆に言えばTB-303とTR-909を所有せずにアシッドハウスを奏でることはほぼ不可能に近い。そして、俺が作りたかったのはその手のものなのに、どちらの機材も高いし品薄で買えなかった。限られた機材で優れたトラックを作るにはそれ相応のセンスが必要で、そのセンスが圧倒的に俺にはなかった。センスと言ってしまうと聞こえがいいのでもっとハッキリ言うと、機材の取扱説明書を読むのが面倒くさくて一切読まず、なんとなくフィーリングでいじっているだけだったので、いつまで経っても曲にならなかったということだ。なんとか1曲だけそれらしいのが出来たのを家に来た友だちに聴かせたら、「……お、おう」という感じになり、とても気まずかった。
いまも曲の打ち込みはやっているが、取説をちゃんと読んだことがない&音楽の基礎知識がなくて楽譜が読めないので、未だにちゃんとした曲を作ることができないでいる。先日もCMソングの制作依頼がありデモを送ったが、依頼内容に沿った曲を作るだけの能力がないのでやはりフィーリングで適当に打ち込んだのを送ったのが悪かったのか、担当者からはその後ピタリと音沙汰がない。そんな感じです。
【著者紹介】
掟ポルシェ
(Okite Porsche)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー、これまで『盗んだバイクで天城越え』ほか、8枚のCDをリリース。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『TV Bros.』、『別冊少年チャンピオン』など多数。著書に『説教番長 どなりつけハンター』(文芸春秋社刊)、『男道コーチ屋稼業』(マガジン5刊)がある。そのほか、俳優、声優、DJなど、活動は多岐にわたるが、なかでも独自の視点からのアイドル評論には定評があり、ここ数年はアイドル関連の仕事も多く、イベントの司会や楽曲のリミックスも手がける。