【ビルの窓拭き・その6】掟ポルシェ『男の!ヤバすぎバイト列伝』第41回

連載・コラム

[2017/7/7 12:00]

本連載はニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」のボーカル&説教担当、DJ、ライター、ひとり打ち込みデスメタル「ド・ロドロシテル」など多岐な活躍をみせる掟ポルシェが、男気あふれるバイト遍歴を語る連載である。すべての社会人、学生、無職よ、心して読め!!


【第41回】ビルの窓拭き・その6


 ビルの窓拭きは意外とちゃんとした会社だったためか、重役が大きめの会社を定年退職したおじいさんだったりした。そのうちのひとり、恰幅のいい如何にも金持ってそうな佇まいのおじいさん社員(以下、面倒なので爺社とする)は、パチンコメーカーを退職したあとでこの会社に入ってきた。大会社で役員を勤めただけあって挙動に余裕が感じられ、それでいて俺たちみたいな若いのにもたまに話し相手になったりしてくれるフランクさも持ち合わせていた。
 たまたまバイトの間で大林雅美(元・上原謙夫人で愛人騒動で一時テレビに良く出ていた熟女タレント。銀座で「まこん」という一文字配列並び替えるととんでもないことになる高級クラブもやっていた)の話題になったところ、「君たち、大林雅美知ってるの?」と爺社が反応。その前日『お笑いウルトラクイズ』のビデオを見返していたので、ええ知ってますよ、愛人騒動の、と答えると、爺社が「俺、昔付き合ってたよ」といきなり告白。えー! 「あれ、一時俺の愛人だったから(こともなげに)」えー! 昨日見た『お笑いウルトラクイズ』の温泉クイズで、長いこと風呂に浸かってのぼせる芸人たちの前で「愛人としての心得」等を滔々と語っていたあのおばさんが愛人契約結んでた人物がこんな近くに! なにそれ! と固まる俺たちに「あいつね、いい女だったよ」と付け加えてくれた。失礼ながら1996年当時でとっくにおばさんto少しおばあさんのカテゴリに入っていた人と愛人契約を結んでいたことを、まだ20代の我々バイトは誰ひとり羨ましいとは思わなかったが、愛人囲えるなんてやっぱパチンコメーカー役員って儲かるんだなと思った。
 またあるときは、急に俺たちバイトに向かって「君たち、パチンコとかやるの?」と聞いてきた。丁度そのころ、羽根物台で1回2万円は負けていたスーパー博才ない俺がパチンコハマり絶頂期だったため、ええやりますよ、と素直に返すと、「やめたほうがいいよ」と。えー! その理由は「あれ、勝てないようにできてるからね」と。えー! 身も蓋もない言い様だったが、元パチンコメーカーのえらい人から言われると猛烈に説得力があり、その日以来俺は勝てないパチンコをすっぱりやめられたのだった。その話をしながら、恐らく前職からしていると思われるおもいきり高そうな腕時計がビカビカに光っていて、やっぱパチンコメーカー役員って儲かるんだなと思った。あれが俺たちの負けで買った時計か……。

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 こんな悠々自適社員が普通にいる反面、バイトはやはり万年金欠青年・貧乏原一郎ばかりが雁首揃えて在籍。なかでもぶっちぎりで金に困っていたと誰が見てもわかるのがH田さんだった。H田さんの昼飯は毎日決まって80円のでっかいコッペパン1個だけ。それを水道水と一緒に「ボク、これ好きなんだよね」と言ってニコニコしながら食べていたが、お金がなくてそれしか買えないんだよね~感はバリバリににじみ出てしまっていた。H田さんの風貌は、ひと言で言って南米の出稼ぎ労働者で、そこにひと昔前のムード歌謡歌手の古臭いかつらを被せた感じ。削げ落ちた頬からは生活の困窮が伺え、それでいていつも何かに怯えるような苦い笑顔を湛えていて、仲良くしてもいいことなさそうな貧乏神ついてます感が嫌な後光のように放出されていて、なのでまぁそれなりの距離を保ち付き合っていた。

(画:掟ポルシェ)

 H田さんは、ちょっとしんどそうな仕事のときにはスッといなくなり、気がつけばどっか人のいない場所で見つからないようにじっと座っていることが多い。つまり嫌なことからは迷うことなくすぐ逃げるタイプで、一緒の現場に入ると微妙に仕事を増やしてくれるので往生した。俺が職長として現場に入っていたときはそれではさすがに困るので、H田さんどこ行ってたんですか?と詰問すると、「ごめん、うんこ止まんなかったんだよね……」といつもの急場しのぎの笑顔をもって返答。「お昼、へんなもの食べちゃったかも……」と苦い笑顔でごまかそうとするが、H田さんが80円のコッペパンしか食べてないのは皆知ってるのでそれで腹は壊しようがなく、もうグッタリしてこちらとしても返す言葉がない。忙しい現場にはH田さんは次第に入れられなくなっていった。勘弁してほしかった。
 H田さんはなんであんなに金がないんだろう?と不思議に思っていたが、バイトの誰かが聞いたところによると、こういうことらしかった。数年前までヤクザの娘と結婚していたH田さんは、すぐに他に女を作りヤクザの娘をぶっちぎって駆け落ち。酷い別れ方に怒り心頭のお父さんヤクザは地下ルートをたどってH田さんの居所を突き止め、真っ当に慰謝料を請求。しかし、生活態度全般にナメていたH田さんは、消費者金融からの借金が既に多額にあるため慰謝料支払いも当然バックレ&夜逃げ。ヤクザの追手が来ることを恐れながらバイトを転々としているらしい、と。なんかあったら逃げちゃえばいいと顔に書いてあるH田さんのやり過ごしスマイルを思い出し、当然ヤクザのほうに同情した。
 とはいえ、追手を避けてひっそり生きる抜け忍みたいな生活をH田さんがしているという話は流石にVシネマ過ぎて現実味がなく、にわかに信じることができないでいた。するとある日、H田さんの駆け落ちした彼女がバイト先の事務所の前まで来ているとの連絡があった。道路を挟んで事務所の反対側にいるH田さんの彼女が、手を振りながら信号のない道を渡ってこようとしたその瞬間、「あっ」という声とともに黒塗りの乗用車にハネられるのを目撃。H田さん! 追手、追手来たよ~ッ! 殺意よりも痛めつける目的がヒシヒシ感じられる地味な低速で車にハネられたことに恐怖を感じたが、彼女が目の前でハネられているのにまだちょっとヘラヘラした顔のままだったH田さんの表情を見て、凍りつくのを忘れて俺まで笑ってしまった。あんたどういう精神構造だよ!
 それからもしばらくの間H田さんは普通にバイトに来ていた。ああ、あれヤクザの追手の車じゃなくてただの一般車だったのか(実際軽い打撲のみで命に別状まったくなし)。そりゃそうだよな、そんなVシネマみたいなこと現実で起こるわけがないわ、俺たちの思いすごしだったみたいだな……と思った矢先、H田さんは、ある日パタッと会社に来なくなった。休みますとも辞めますとも何も言わず。2週間後、さすがにこれは飛んだなと判断&新しく入るバイトのために、そのときたまたま暇だった俺がH田さんのロッカー整理を命じられた。H田さんのロッカーには明日着るはずだったであろう青い作業用ツナギがぐしゃぐしゃになった状態で突っ込まれていて、失踪がやむない事情で突発的に行われたものだということを物語っていたが、本当にヤバイブツはその下にあるデカイ茶封筒。ラベルにはデカデカと「誰でもかんたん自己破産セット」とワープロ出力文字で書かれてあった。そんなもん手軽にできるようにした書類売る業者いんのかよ! ビジネスの天才かよ! と発見時不覚にも笑ってしまった。なかには陳情書も入っており、自己破産に至った事由が書かれていた。聞いていた通り、「(大意)消費者金融数社からお金を借り入れて返せなくなってしまいました。そこに加えて離婚の慰謝料も加わり、今の自分には到底返せない金額だと判断しました」というようなことが書かれていた。借金総額は720万円。少しがんばれば返せないこともなさそうな金額とはいえ、ヤクザ父からの追い込みもあることだし、そりゃ毎日コッペパンだわと納得した。ロッカーに入っていた自己破産セットは、青いツナギと一緒に捨てておいた。絶対にこのバイトに戻ってこない理由がうかがえすぎた。

 H田さんクラスにはいかないまでも、俺自身の借金もかなりの金額にかさんできており、「明日は我が身」を痛感する出来事だった。その日の夜、近所のやきとん屋で現実を忘れるまでひたすら飲んだ。1998年、「なんとかしないと」と「もうどうにもならない」の狭間に俺はいた。

後楽園ホールによくデスマッチを見に行っていた頃。多分1995年。前回載せておくべき写真ですがまぁご査収ください。中牧! ジェイソン!

【著者紹介】

掟ポルシェ
(Okite Porsche)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー、これまで『盗んだバイクで天城越え』ほか、8枚のCDをリリース。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『TV Bros.』、『別冊少年チャンピオン』など多数。著書に『説教番長 どなりつけハンター』(文芸春秋社刊)、『男道コーチ屋稼業』(マガジン5刊)がある。そのほか、俳優、声優、DJなど、活動は多岐にわたるが、なかでも独自の視点からのアイドル評論には定評があり、ここ数年はアイドル関連の仕事も多く、イベントの司会や楽曲のリミックスも手がける。

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