「銀杏BOYZになる男〜SNAIL RAMPの作り方・25」タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』
身体は疲弊し、声も出なくなってくる。そんな状況下だとメンバー同士もギスギスし出すし、ひとりで過ごす時間などない。居場所はステージか車内だけで逃げ場はなく、そんななかで爆発した奴同士は殴り合いの喧嘩に発展したりする。これはもうバンドの必然なのだ。そんなことも極力避けたいがために「いい奴っぽい」ギタリストを選んだ。
決定してからというもの俺たちはアメリカツアーに間に合わせるため、急ピッチでスタジオリハを繰り返した。小柄なそいつは「中村」といい、やっぱりいい奴だし、ミスしてもその笑顔で許せる奴だった。
中村とのスタジオは楽しかったが終わりは突然訪れた。アメリカツアー出発の1週間前、帰宅すると英文のFAXが届いていた。ツアー主催者からだ。
「アキラ、アメリカツアーはキャンセルになったわ。んじゃ、また!」
はぁぁぁああ?何じゃこれ? 慌てて説明を求めるFAXを送ったが「ツアーはなくなったんだよ。めんごめんご!」と、こちらとは随分温度差のある返事しか返ってこなかった。
メンバーにこのことを伝えると、驚きとともに、石丸からは「俺、バイトを1ヵ月間休みにしちゃいましたよ……」というリアルな答えが返ってきたし、中村はやはり怒ることもなく聞いていた。「せっかくスタジオ入ってくれたのにごめんな」と謝るこちらに対しても、「大丈夫ですよー。次のライブはお客さんで行きますね!」と素で答えるいい奴だった。「ライブ来てくれるならいつでもタダで入れるようにするから、遠慮せずに来いよ!」と俺は答え、実際にライブにも遊びに来てくれたし、めっちゃダイブしてた。
それからも事あるごとに石丸と「中村ってほんとイイ奴だったよなー」と話すほど、アイツはマジでいい奴。間もなくして後輩バンドが「うち、ギター探してるんです。SNAIL RAMPのオーディション落ちた奴でいいので、誰か紹介してください(笑)」とフザけたことを頼んできたので「むちゃくちゃイイ奴いるわ!」と、秒で中村を紹介した。そこでも中村は可愛がられ、バンドマンとしてのキャリアを重ねていっていた。
それから数年後……中村は銀杏BOYZというバンドでギターを弾いていた。チン中村という名になっていて、気づいたら「チン君」と呼ばれていた。中村を紹介した後輩バンド、YOUNG PUNCHのボーカルの福井はそのキャリアの途中からレーベル『TV-FREAK RECORDS』を主宰。そこでリリースしたのが当時のGOING STEADYであり、その後に銀杏BOYZとなった峯田(和伸)に中村を紹介したようだった。
しかし、それがよかったのか悪かったのかはわからない。「体調を崩したのもあり、バンドを脱退した」と聞いた。何があったのか俺にはわからないが、「とにかくあそこでやるのは大変なんだよ」という話は勝手に耳に入ってくる。
あの中村にバンドを辞める決意をさせるほどの気持ちにさせた誰かがいるなら、そいつに対しての怒りを覚えてしまうのも正直なところ。そんな一方的な肩入れをしちゃうほど俺のなかで中村人気は高い。
あいつ、今どうしてるのかなぁ。ちょっと検索してみよう。