「TBSラジオたまむすび」~タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』

連載・コラム

[2021/1/22 12:00]

1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!


「ラジオ」。この令和に生きているみなさんはいったいどのくらいラジオの番組を聴いているのだろうか。確か40年~50年ほど前、当時の若者の間では深夜ラジオを聴くといったブームがあったはずで、俺が中学生だった35年前でもクラスの1割ほどは深夜ラジオを聴いているやつらがいた。

何がきっかけだったかは自分でもよく覚えてはいないが、俺も中学生からラジオを聴き始め、21時頃になるとラジカセ(この響きすら今や懐かしい)のスイッチを入れ、遅いときは明け方5時までラジオを聴き続けていた。

そう、俺はヘビーリスナーだった。22時~24時でやっていたニッポン放送『三宅裕司のヤングパラダイス』に始まり、『上ちゃん(上柳昌彦)のファンファントゥデイ』、25時からオールナイトニッポン1部、そして起きていられたらオールナイトニッポン2部を朝5時まで聴き、2時間だけ寝て中学校に行くという、13歳~14歳にして社畜のような生活を送っていたのだ。マジ過労死寸前だけど、それでもラジオを聴くのはやめないという「何の中毒なんですか」と当時の自分を問い詰めたいほどのスケジュールでラジオ漬けになっていた。

ただ高校に入るとあれほど聴いていたラジオとも距離ができ、やがて完全に聴かなくなっていた。しかし免許を取り車に乗るようになると車内でラジオをかけるようになり、SNAIL RAMPをやっていた頃も移動中の車内では音楽よりもAMラジオがかかっていた。

しかも俺の車の趣味は「セダン好き」と、若者の嗜好に逆行するうえ、車内でかかっているのはAMラジオだったため「タケちゃんの車に乗ると、実家の車に乗ってる気分になる」と当時からよく言われていた。

そして1998年からはオールナイトニッポン内の箱番組(番組内にあるごく短時間の番組)をやらせてもらうこととなり、それだけでもラジオっ子の俺にはかなりの栄誉だったが、1999年からはまさかのオールナイトニッポン1部のレギュラーパーソナリティに。その話をマネージャーから聞いたときには本当に信じられず、「ウソだろ……? この俺が……?」とボーッとしてしまった。

それなりの期間やらせてもらったあとに、今度はFM、しかもシャレオツ度高めのJ-WAVEでまさかのレギュラーナビゲーター。港区麻布から毎週毎週生放送するというTOKIO LIFEを送る。

その後もニッポン放送に戻ってレギュラーやったりちょこちょことラジオで喋ってはいたが、ラジオはとんとご無沙汰だった最近。急にゲストの話しが舞い込んできた。TBSラジオ『金曜たまむすび』でのゲスト出演だ。

俺の喋りはニッポン放送に育ててもらったという自負がありながらも、ここ数年の俺はかなりのTBSリスナーになっており、「くぅ、TBSラジオ、くやしいけど面白いぜ」と朝番組から昼帯、そして深夜までの全時間帯でちょこちょこ聴いている。『金曜たまむすび』内の「プロモーションさん、いらっしゃ~い!」というコーナーへのゲストだったのだが、マネージャーからその話を聞いたときも「あー! あのコーナーですね!」と秒で理解できた。

『金曜たまむすび』は玉袋筋太郎さんとTBSアナウンサー外山恵理さんのコンビでお送りしている、あの人気番組だ。そこに「何かをプロモーションしたい人」がゲストで出てくるあのコーナー。出演前には「何をプロモーションしたいか?」をあげるアンケートがあった。

まずは2月20日に後楽園ホールで行われる「キックボクシング団体・NKBの大会」だ。俺はこのNKBで興行統括をしマッチメイクもしている身なので、当然にこの宣伝をしなければならない。そしてもちろんこの『耳マン』のコラム『炎上くらいしてみたい』も宣伝する!そんな使命感にも燃えていた。

そのときのトークとしては、このコラムがどの程度読まれているかというPV数もあげたほうが話としてはまとまるだろう。そこで編集部に「バズったコラムのPV数を教えてください」とLINEを打った。お陰様でいくつかそういったコラムはあり、多いものだと外部配信を含めて数百万PVを超えていた。

それを事前アンケートに書き、マネージャーに送った数日後、電話がきた。マネージャーからだ。何だろうと電話を取ると「あのー竹村さん、ラジオのとき話はキックの大会中心でお願いします」と。ん? いや、そのつもりではあるけどなぜそんなことをわざわざ言うのだろうと思っていたら、「コラムの話はちょっとやめたほうがいいだろうという事務所判断で……」と申し訳なさそうに言うマネージャー。

「え!! 何でですか?」と訊くと、一番読まれたコラムは『アンジャッシュ渡部健さんのトイレ不倫』だったのだが、「ああいった内容のコラムの話をするのはちょっと……」という判断らしい。

まー色んな捉え方があるので大して気にもしないのだが、ある人は「これはよろしくない」と判断するような内容を俺は毎月2回コラムに書いてんのかとちょっと笑えてきたし、リットーミュージックという大きな会社でありながら、それを載せてくれる耳マンも耳マンだし、何よりそれを読んでくれたみんなは最高だよねぇ。

きっと俺たちは同類なんだな。誰かにとっては眉をひそめるような生き方や思考なのかもしれないけど、俺たちは肩寄せ合って生きていこうぜ!

そして『金曜たまむすび』の本番、NKBの大会のことをプロモーションしつつも結局コラムのこともブッ込んだ。俺たちは俺たちの世界で生きてるしな。

ただ久々のラジオ生放送、勘が鈍りすぎて満足いく喋りもできずに放送直後はガックリきてた。でも「まあ仕方ないか、冬だし!」の謎理論で復活。寒いとね、なーんかうまくいかないもん。

みんなもうまくいかないときは季節のせいにしたらいいよ、何から何まで全部!

タケムラアキラ

竹村哲●1995年にスカパンクバンドSNAIL RAMPを結成。2000年にリリースしたアルバム『FRESH BRASH OLD MAN』でオリコン1位を獲得するなど、一時代を築く。バンド活動と並行し、2001年からキックボクシングを始め、2014年10月に43歳の年齢でNKBウェルター級チャンピオンに輝く。2015年12月12日には後楽園ホールにて引退試合を行なった。SNAIL RAMPは現在、“ほぼ活動休止”中。