「嫌だったMIND YOUR STEPレコーディング(前編)~SNAIL RAMPの作り方・48」~タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
1999年7月にリリース予定となったメジャー盤マキシシングルに収録する曲は完成し、あとはレコーディング。バンドとしては「いよいよメジャー盤かぁ」というワクワク感に支えられ、新しい1歩を踏み出すモチベーションは非常に高かったし、それは俺も同じだった。
ただ一方、俺の「レコーディング嫌い」はこの頃ピークを迎えていた。この「レコーディング嫌い」にはいくつかの理由があったが、根本的に「音楽が不得意」に尽きると思う。音楽は好きだし楽しいのだが、うまくはできない。しかし「できない」で済むものでもないからできるまで七転八倒しながらやることになるし、「自分はできない」ということに直面し続けることにもなる。
これは精神的にかなり疲弊すると同時に、集中力を高く保ちながら長時間のスタジオ作業となるため、体力的な疲労度も高い。身体が疲れてくるとテンションも下がるという悪循環にハマりながらそこで必死にもがく作業、それが俺にとってのレコーディングだった。
だから「レコーディングはスタジオミュージシャンとかがやってくんねぇかな」と本気で思っていたし、実際にそれを事務所に言ってもみた。「あのさ、スタジオミュージシャンの人にやってもらえばいいんじゃね?」という俺の提案は、「プロの人って高いんだよ?」というマネージャーのひと言でいとも簡単に却下された。
話しは逸れるが、こういうエピソードを話したりすると「竹村(SNAIL RAMP)はPUNKじゃねぇ!」とお怒りになる方々が一定数いらっしゃって、それは今でもそうだろうし、当時はもっと顕著だった。PUNKというものに対しては個々の考え方があるので、うちら(というか俺)に対して怒る人も正しいし、怒られるような姿勢をもつうちらも正しかった。
ただ、「俺はお前らとは違うんだ」とPUNKファッションに身を包んでいた人たちが、気づいたらみんな同じようなPUNKファッションをしているのは滑稽にみえたし、「DO IT YOURSELF! 既存のシステムにはコントロールされず何でも自分たちでやるんだ!」と言いつつ、既存の流通システムに乗っかってCDを販売している様は矛盾の塊にもみえた。
俺も当初は一般社会に対するアンチテーゼからPUNKへ傾倒していった面もあったと思うが、時が経つにつれ「既存のPUNK概念」に対するアンチテーゼも同時にもつことになっていった。
そして『MIND YOUR STEP』レコーディング当日。スタジオミュージシャンの起用を断られた俺だったが、「とはいえメジャーじゃん? 予算だってそれなりにあるだろうから、何だかんだ言ってもスタジオ行ったら代わりにプレイしてくれるミュージシャンが来てるっしょ」と決めつけ、スタジオのやたら重い防音扉を開けた。知らない顔が見えたので「あの人だ!」と目を輝かせたが、それはアシスタントエンジニアの若い子で、あとはいつもの見慣れたスタッフとメンバー。俺たちは自分たちでトボトボと機材をセッティングし始めた。
しかしレコーディングが始まってしまえば、普段フザけている俺たちも作業には集中して取り組むタイプ。スタジオミュージシャンを起用せずとも、バックの演奏は無事に録り終えた。
ただ問題はこれから、一番の鬼門である「歌録り」をやらねばならなかった。歌録りを前にした俺の気持ちは、ブルーを通り越してもはや真っ黒。刑を執行される罪人のような気持ちで、俺はひとりボーカルブースに向かうのだった。(続く)