「キックボクシングジムがついにオープン!(後編)」~タケムラ アキラ(SNAIL RAMP)『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
(前回からの続き)
次はジムの床にマットを敷かなければいけないが、これがまた大変だった。敷くのが大変なのではない。購入してそれがジムに来るまでがとにかく大変だった。
通常であればそのマットも日本の業者に発注して購入、敷く作業も業者に任せたりがんばって自分たちで敷いたりするのだが、意外に値段張るのがこのマット。なまじ物件の床面積が広いために敷かなければならないマット数も多く、その枚数が増えれば当然に合計額もうなぎのぼる。
そこで「海外から仕入れたら安いんじゃね?」と思い立ち、直接輸入してみようとチャレンジ……してみたのだが、どうも話が進まない。日本での値段より明らかに、というかべらぼうに安いのだが、船での輸送料は結構な値段だしいつ日本に着くのか、どこの港に着くのかもハッキリしない。
ほどなくして「荷は東京港に着く」と連絡がきてひと安心しつつも、「東京港……? 聞いたことないな、どこなんだろ」となった。「東京」なんていう名前がつく港だから、そりゃあでっかい港だろうし有名なはずなのだが、俺の知識に「東京港」はなかった。
半信半疑でネットで調べると、有明だかどこだかの海っぺりが地図に示された。「近いじゃん。よかったー」と喜びはしたが、その東京港着日は依然不明。船会社?からも依然として、着日の正確な日時の知らせはない。
いい加減しびれを切らした俺は、東京港湾局へ電話した。
「○月○日辺りにEVAマットの船荷が東京港に着くと言われているのですが、詳しい日時はそちらでわかりますでしょうか?」
「うーん、まず船名がわからないとどうにもならないですね」
「そうなんですか……。あと東京港に着くと言われているのですが、有明のところでいいのでしょうか?」
「え、東京港ですか? いや、東京港というのは東京にあるすべての港湾施設を指すのですが……?」
「えー!!!!!」
やられた。そんなことってあるのか? 国際輸送ってそんなアバウトなもんなのか。じゃ何か「荷は東京のどっかに着くから、自分で探せ」ってことなのか? 「場所がわからないのにどうやって取りに行けばいいんだよ!」と愕然としていたら、日本に着く2日前あたりになり船会社?から詳しい連絡がきて、大田区のデカい倉庫に取りに行けとのことだった。
そう、港に着いた大量のマット(150枚)は自分でピックアップしに行かないといけないらしい。
2トントラックをレンタルすればマットは全部積めそうだが、タイミングは折しも3月。引っ越しでトラックを使う人が多く、レンタカーは全部出払っていた。そんななかレンタカー屋というレンタカー屋に片っ端から電話をかけまくり、どうにか1台だけ空いていた2トン車を予約できた。
「良かった……」と安心はしたが、当日乗ってみて「あぁ、それで空いていたのか」と納得。この2トントラックはオートマではなく、マニュアル車だった。もちろんマニュアルも運転できる免許ではあるし、昔はマニュアル車に載っていたこともある。とはいえ20年ぶりくらいに運転するマニュアル車ではあったし、何よりそこそこデカい2トンの箱車だったので、最初はおっかなびっくりでの運転だった。でも小一時間もするとずいぶんと慣れて、運転に何の不自由も感じなくなっていた。
そして臨海地区にある物流倉庫へ行き、フォークリフトが運び出してきてくれるマットの重い束を2トンのアルミ箱に囲まれた荷室に積み上げていった。この作業はまあ汗をかいたなで済む程度ではあったが、問題はこの先であった。
トラックで物件の下までは着いたが、エレベーターホールに直付けはできないためにマットの束をグワッと担ぎ、ちょっとした距離を歩いてエレベーターに積み込まなければならない。これが苦行だったし、なかなか強度のあるトレーニングだった。
山のようにあったマットをすべてジム室内に運び込めたのは、どのくらい経ってからであろうか。幸いふたりでの作業だったからまだよかったものの、それでもかなりの時間を費やしたし、この日の作業は完全にここで終了だった。
もう何もしたくない……。ここからマットを敷くという作業を考えるのすらイヤになり、「王将行こうぜ」と男ふたりで飯を食いに行って、この日は終了となった。
レンタカーのトラックを返しにいくのすら億劫になるほどの疲労度、これは久々に感じるレベルの疲れであった。
ここにジムのホームページリンクを置いておく。俺たちが完全な無表情で運び込んだマットをぜひ見てほしい。