「スネイル、ダウンタウンに会いに行く①~SNAIL RAMPの作り方・50」~タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
1999年7月にセカンドシングル『MIND YOUR STEP!』をリリースしたSNAIL RAMP。一応メジャー盤と呼ばれる類のリリースだったが、いわゆるインディーズで音源をリリースしてバンド活動しているのとそこまでの違いは感じられなかった。
1995年5月にSNAIL RAMPを結成し、1996年3月くらいまでは「俺たち、このまま陽の目を見ずに終わっていくんだろーなー」という自信しかなかったが、1996年4月2日の下北沢SHELTERでの初企画ライブを成功させてからはゆっくりながらもバンドが大きくなっていく実感が常にあったため、『MIND YOUR STEP!』をメジャーでリリースしたからといって急に環境が変わったり、「おぉぉお! 何か俺たち売れだしたぞ!」みたいな感覚も本当になかった。
ただ取材でインタビューを受けるたびに「バーンと売れて、いろんなことがガラリと変わったんじゃないですか?」的な質問を示し合わせたようにほぼ全員からされていて、そのたびに俺たちメンバー3人は「へ? 何が……?」となっていた。
しかし、受ける取材は明らかに多くなり、今まではまったくお付き合いのなかった雑誌や番組に取り上げてもらえるようになっていった。その日も一日取材DAYで、次から次へとインタビューを受けたりテレビやラジオのコメント録りをしていたが、取材と取材の間で少しの空き時間ができた。
そこでマネージャーのテツラーノが「あのさ……」と何か尋常ではないことを言い出す口調で口火を切った。あまりよくない、言いにくいことを言い出すような口調に気づいた俺は、ちょっと身構えた。
「あのさ、まだわかんないんだけど、次に発表されるオリコンの順位によっては番組に出るかも」「HEY!HEY!HEY!なんだけど」
……え? HEY!×3ってダウンタウンがやってる音楽番組?
一瞬、その場が固まったように思えた。俺たちは何て答えていいかわからなくて、「んー、え? テレビの?」とかトンチンカンな受け答えをしていた。ラジオにHEY!×3はない。
「ただ、これはホントにわからないの。うちともうひとつのアーティストが最終候補のひと枠に残っていて、次のオリコン順位も参考にして決めるらしくて」
少し申し訳なさそうに説明するテツラーノ。
「そうなんだ。じゃ、うちは落ちるだろーなー!」と答えたのは俺。期待して落ちたときのショックが計り知れないことは容易に予想できたので、「いや、うちは落ちるよ、落ちるに決まってる。うん、落ちるのは確定だ」とその後も心のなかで何回も繰り返した。
「ただ出られるとなったとき、どうする? スネイルは出る?」とテツラーノは俺たちに決断を迫った。
何て答えていいのか3人が言葉に詰まり黙ってしまったが、俺は心のなかで「いや、だってスネイルはどうせ落ちるからさ、あはははは」と白々しいことを繰り返していた。
しかし口火を切ったのはギターの米田だった。
「おもしろいんじゃないの?」
そして「いいと思いますよ」と石丸も答えた。「タケちゃんは?」とテツラーノに訊かれてようやく「あぁ、出ようよ。つかホントにぃ?? ホントにHEY!HEY!HEY!からオファーあったの?」と答えた。
メジャーでリリースすることでフィールドが拡がることもあるんだろうなと思っていたが、実際はそこまでではなかった。取材の数や種類は増えたが、それはあくまでこれまでの延長線上にあるもので、まったく違うことに遭遇したり挑戦したりすることはなかった。
しかしこのHEY!×3からのオファーは不確実なものとはいえ、まるっきり新しい体験をするかもしれないという大きな高揚があった。この日、このあとも取材は続いたはずなのだが何も覚えてはいない。それぐらいHEY!×3からのオファーは、俺にとってもインパクトがあったのだろう。(つづく)