遠藤ミチロウ×峯田和伸(銀杏BOYZ)『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』トークイベントの全貌をレポート!
うちの親父が“山形大学に遠藤っていうすごいのがいた”って言ってたんですよね。あれ、ミチロウさんのことですかね?――峯田
遠藤:なんかねぇ僕山形で学生のとき、あのー、お店をやってたんですよ。酒全然飲めないのに、ロックバーをやってて、で、それが1972年ぐらいだったんですけど、そのときまだ生まれてないもんね。
峯田:そうですね、1977年なんで、はい。
遠藤:それで、峯田くんが高校のときに、僕がやってたそのお店……名前はずっと僕がやってたときの名前でずっと続いてて、やってる人は別の人なんですけど、そこに行ったんだよね?
峯田:はい。ミチロウさんがいたらしいよっていうので、やっぱ話題になってて。行ってみようぜって音楽好きな友達と一緒に行きました。『ジェスロタル』っていう。
遠藤:でも全然そういうロックバー的な感じじゃなかったんでしょ?
峯田:なかったですね。もうちょっとなんかオシャレな感じだったような気がしますね。ちょっとなんか、カッコイイ人もいっぱいいたし。どうなんでしょうね。
遠藤:ふぅーん。あそこは地下のお店だったんだけど、そのお店の上が大家さんの家で、なんかやくざの親分さんで。毎日家賃をですね、1日に1,000円、1ヶ月にすれば30,000円になるんですけど。毎日1,000円を“今日の家賃です”って渡して(笑)。だから俺みたいな変な学生がやっててもまわりから文句言われなかったのは、そのせいもあるかもねぇ(笑)。
峯田:スターリンやる前は、山形に8年間いらっしゃって、それからは1回海外に行くんですか?
遠藤:いや。大学出たのが1974年で24歳のときなんで、そのまま1年間東南アジアを放浪して、またしばらく山形にいて。で、そのなかで急に歌おうかなって思って歌い出しました。
峯田:そのとき山形大学のキャンパスって行ってました? 卒業しても。
遠藤:ほとんど行ってないねぇ、卒業してからは。
峯田:うちの親父が、“山形大学に遠藤っていうすごいのがいた”って当時、結構俺に言ってたんですよね。あれ、ミチロウさんのことですかね?
遠藤:多分、遠藤だったらそうだろうね(笑)。
峯田:言ってましたよ、うちの親父もバンドやってたんで。GSのバンドをやってたんで、好きだったみたいですよ、色んな音楽とか。
遠藤:あぁ〜。
峯田:大学に遠藤って奴がいて、企画とかして友部正人とか色んな人を呼んで、って。
遠藤:あぁ、うんうん、そうそうそう。
峯田:やってました? 呼んでました? あぁ、じゃあミチロウさんですわね、それね。
“お前、近所でキチガイって言われてるよ”とか言われて。“えぇ!”とか言って(笑)――遠藤
遠藤:お父さんていくつなの?
峯田:65です。
遠藤:5? 同じ! で、山形大学だったの?
峯田:山形大学だったんですけど。
遠藤:あぁ〜あの頃まだね、歌ってなくて自分では。コンサートを企画したりだとかそういう、どっちかって言ったらそういう裏方のことやってて。
峯田:会ったことあるんじゃないですかねぇ。うちの親父GSのバンドやってて1枚レコードを出してるらしいんですよ、自主制作で。あの、公民館とかでライブやってて。そういうバンド当時いっぱいいて、“多吾作エコーズ”ってバンドらしくて(笑)。1回も聴かせてもらったことないんですよ。
遠藤:(笑)。聴いてないんだ?
峯田:1回も聴かせてもらったことない(笑)。バンドやってたっていうのは昔から聞いてたんです。で、なんかビートルズ好きだとかGSやってたとか、でバンドの名前は“多吾作エコーズだぁ”って言ってて。
遠藤:やっぱり、親のDNAっていう感じが(笑)。じゃあ峯田くんが“バンドやってくんだ”って言ったとき、親は何て?
峯田:大反対でした。僕は電気屋継ぐっていう名目で大学4年間学費もらって。卒業して出てきたら帰って電気屋継ぐんだぞっていう名目だったんですけど。
遠藤:へぇー。反対だったんだ。うちもねぇ、父親が戦前、岩手県の松尾鉱山っていうところの診療所で働いてたんだけど、そのときに『松尾鉱山音頭』ってのを出すことになって。ビクターからちゃんと当時の1番売れっ子の民謡歌手の人が歌って、作詞だけは一般公募で募集して、そしたらウチの親父のがとおっちゃって、でレコードになってるのね。
峯田:えー! じゃあ作詞のとこに名前書いてあるんですか? お父さんの名前。
遠藤:そう、『松尾鉱山音頭』で作詞・遠藤清吾って。
峯田:えー!
遠藤:で、そのレコードも家にあったの。ただ、昔のだから割れちゃってて、なんかおふくろが落として割ったらしいんだけど(笑)。だから親父のが先にレコード出してんだ、と思って。でもやっぱり俺が、“何になりたいの?”って聞かれて“ミュージシャン”って答えたら、もう大反対されて。そのバンド名もスターリンだったから、もう……(笑)、勘当ですよ、大学で(笑)。
峯田:(笑)。いやぁ本当に、映画のシーンでも当時スターリン組んだときに、“遠藤さんちのミチロウくんねぇ、あんなロックやっちゃって”つって。“キチガイになっちゃったみたでぇ”ってあれ本当同じですからね。捕まったときとか、“和伸くんだめだぁ”って言われたらしくて。
遠藤:最初ねぇうちのドラムの奥さんの実家が、どうもうちの近所らしくて。“お前、近所でキチガイって言われてるよ”とか言われて。“えぇ!”とか言って(笑)。
峯田(笑)。そりゃあ、思いますよねぇ。
遠藤:あとなんかねぇ、親戚にあの『週刊女性』か何かの記者がいたらしくて、そいつから逐一詳しい情報が入ってきたらしくて(笑)。
峯田:いちいち余計なことすんなぁって(笑)。大変ですねぇ(笑)。
(スタッフ)ここでお時間が……
峯田:えっ終わりですか? もう! はやっ!
遠藤:峯田くんの映画『愛地獄』、やっぱりそれも、あれじゃないですか、監督じゃないですか。峯田くんほら役者でこう、いっぱいやってるから、監督みたいにしてやるのは初めて?
峯田:プロモーションビデオとかああゆうのはずっと、撮ってたんで、ええ。
遠藤:あ、そうなんだ。宣伝してください、ぜひ。
峯田:あ、そうですね。2月に先行上映っていう形で銀杏BOYZのライブ、全部で5時間あるんですけど、休憩時間入れて。ちょっと長いですけど、ポレポレ東中野っていうところでやりますので、よかったら。
遠藤:去年のいわきのね、一緒にやったやつ、ちょろっと入ってるんですよね。
峯田:はい。そうなんです。3月にはそのDVDが『愛地獄』っていうタイトルで出ますので、よろしくお願いします。
遠藤:じゃあ、どうも今日はありがとうございました!
峯田:ありがとうございました!