【ペンキ屋に逆戻り】掟ポルシェ『男の!ヤバすぎバイト列伝』第29回

連載・コラム

[2017/1/13 12:00]

本連載はニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」のボーカル&説教担当、DJ、ライター、ひとり打ち込みデスメタル「ド・ロドロシテル」など多岐な活躍をみせる掟ポルシェが、男気あふれるバイト遍歴を語る連載である。すべての社会人、学生、無職よ、心して読め!!


【第29回】ペンキ屋に逆戻り


 ウレタン系溶剤は甘い臭い、エポキシ系溶剤はツンとしたケミカルな臭い、アセトン系溶剤はマジックインキのキツイやつを嗅いだときと同じ臭い。久しぶりに来たのに、カンノさんみたいに指で舐めなくてもシンナーの種類を瞬殺区別できた自分にガックリきた。
 正社員として大学新卒入社した会社を4ヶ月でぴゅーっと脱走し、一躍負け犬落ち目の流れ星となった俺は、学生の頃にやっていた最果ての3K現場仕事であるペンキ屋に出戻っていた。シンナー吸ってラリりながらのバイトは体的にマジキツいので、週2~3回とか食うのに困らない程度の軽度復帰である。
 しばらく行かない間に事務所は高田馬場から中野に移転していた。朝来て早々、普通に動いているのが不思議なほどベコベコに凹んだ見覚えのあるタウンエースに揺られて現場へと向かう。
 何も考えたくない。ここで働いている間はできるだけ自分を殺して静かに過ごしたい。執行猶予にも似た朝の静寂は、今日もあっさりブチ破られた。

 「ニャリーン! おにぎりチンポウ帖! ニャンニャニャ~ン!」

 細い裏道を殺人的スピードで爆走しながらイナさん(ex.やくざという噂の40代。見た目は痩せたダイダラボッチがメガネかけた感じ)が、コンビニで買ったおにぎり忍法帖の「ニンポウ」と「チンポウ」を引っかけて朝から甲高い声で叫ぶ。

 「おにぎりッ! チンポ~ッ、チョウッ! ブルルル~~ン! ニャリ~ン」

 冷めたたこ焼きが如くニチッと人間すし詰めされた窮屈な現場護送車、ただでさえイライラしているところに面白くもない低レベルの下ネタが空疎に響き本当に最悪だ。脱力する値打ちもない。ダウナードラッグの定番として我々ジャパニーズに馴染みの深いシンナーをあれだけ吸ってるにもかかわらず、なんでイナさんだけは常時こんなバカテンションなのか。早朝から吐いた溜息で車内のCO2濃度は上昇し、酸素の薄さも相まって仕事へのやる気がガンガン削がれて行った。
 車内の誰もが(黙れ脳内シャブ親父!)と怒り心頭に違いないと思ったら、俺よりあとに入った若いバイトのハタ坊が、「イナさん、おにぎりチンポウ帖マジウケるわ~」とひとり爆ニヤケ笑いしていた……。余程娯楽のない土地で育ったのだろう。「チンポゥ」というキーワードが出てきただけでしばらく笑えているようだった。ギャグセンスのなさが不憫レベルに達していたが、人畜無害な顔立ちと雰囲気の柔らかさから誰もハタ坊に怒る気にはなれなかった。

 ハタ坊は元々レンタルビデオ屋の店長をやっていた。普通にバイトとして入ったのだが、店員数が絶対的に足りてない非チェーン店系の24時間営業レンタル店で言われた通りシフトに入った結果、週7日×一日20時間バイト連勤し続け、気づいたら自動的に店長になってしまったのだ。ハードコア悪質なブラックバイトだった。タコ部屋以下の地獄労働条件に新規で入ったバイトがこれはヤバいぞと数日でボコボコ辞めていくなか、人の良いハタ坊は社長の「休んだらぶっ殺すぞ」という言いつけを守ってほぼ不眠不休で半年勤め上げた。180連勤ぐらい続けたある日、家で寝ていたら自分の意志に反しまったく起き上がれない。ここで休んだら社長にブッ殺されるが、休まなくてもこのままでは間もなく過労死することが体の反応でわかったので、死に物狂いでなんとか起床し、社長が訪ねてこないようにとりあえず住んでいる部屋から逃げた。やさしいのがハタ坊の取り柄であり、その取り柄部分に思い切り付け込まれたことは悲劇であった。そして色々あってこのペンキ屋にバイトで入った。週6日朝から晩まで働いても休みがたまにあるだけ最高だった。

画:掟ポルシェ

 現場に到着し、今日も純トロ吸い放題のペンキ屋バイトに勤しむ地獄の時間。やる気は出なかった。職場環境が俺から見て劇的につまらなくなっていたからだ。以前大量にいたいい加減な気持ちでバイトに臨むバンドマンたちが防音床工事の会社を興して独立してしまい、仲の良かった奴らがみんなそっち行っちゃった(&半年で潰れた)ので、ペンキ屋には相変わらず下品な底辺オヤジ職人軍団と、ハタ坊みたいな「バンドをやってるわけじゃないがとりあえず長髪」でしゃべると普通のことしか言わないやつと、新興宗教が命の見た目ノートルダム的などうしようもないやつぐらいしか残ってなく、数年前に比べ格段に居心地が悪くなっていた。さらにそのうち「たまにふらっと来て仕事くださいとか不真面目な入り方だと困る。やるなら週5で出勤しろ」と営業のヒロシからまっとうな指令が下り、ますますやってられない。
 イナさんの「おにぎりチンポウ帖!」はその日終日に渡って続き、言うたびハタ坊の「イナさんそれマジウケるわー」の声が現場の隅から聞こえてくる。あまりの低レベルマクー空間に泣きたくなった。腰掛けのつもりで入ったのになんでこんなダウナー人間大集合の職場環境で精神的苦痛を週5で受けねばならんのかと、バブルならではの贅沢・極な不平不満を募らせていった。

 展開が早くて恐縮だが、一時的に復帰したペンキ屋を一年足らずで辞めることに。再度ケツをまくる決定打になったのは、キツイ現場に長いことブチ込まれたからだった。その頃グラスウールを接着剤で貼り付けていってFRP(繊維強化プラスチック)の工場床などを作るマットライニング工法の作業現場が多く、グラスウールをカットして使う際にガラスの繊維が飛散して体に付着すると全身がチクチク痛痒くなって猛烈に不快であり、それが下手にヒットしたもんだからそんなのばかり入らされて辟易とした。工場床ならまだいい、最後の方、埼玉県のデパートのウンコを溜めておく便槽の内部をマットライニング工法で塗るのが3週間ほど続いて、ウンコの臭いとペンキの臭いのダブルパンチで完全に参ってしまったのだ。許せ。
 再就職先が決まるのを待ってられないってことで、いつもの如く「嫌な仕事を辞めるときは前触れなくいきなり失踪」という最低な幕引きを敢行。同僚には迷惑をかけることになるが、おにぎりチンポウマジウケるわループ地獄をもたらすあいつらチーム下品には多少迷惑かけるぐらいで丁度いいと思い、心置きなく逃げた。今後便槽に入る予定の糞尿よりも俺の勤務態度の方がよっぽどクソであった。

 時間が経てばすべてはいい思い出になる。ペンキ屋も辞めて数年経ってみれば、ヌケの良い下品な底辺オヤジばっかりで楽しかったなとか、意外と美しい記憶にすり替わっていた。これが自己防衛本能というやつか。ともあれ、ソドムとゴモラのどちらかに該当するヤンキータウン熊谷に続き、ペンキ屋での細切れ勤務の数年間さえなんだかかけがえのない青春のように感じていた。人は思い出をいつしか都合よくいいところだけアップデートして上書きし、心の隅から取り出しては手をかざし温まる材料にしたがるものだと思う。

 そしていまから13〜14年前。バイトしなくとも食えるようになった21世紀のある日、いつものように近所のデカい公園に犬の散歩でやってきた。遊具で子供たちが遊び、池では鯉が優雅に泳ぎ、ホームレスは何本ものペットボトルに精勤に水を詰めている。どこにでもあるのどかな風景。が、そのホームレスが突如こちらに微笑みかけてきた。冬場でゴロゴロに着膨れした薄汚れたコートと厚手のニット帽の間に除く顔はまだ若いように見えた。それどころか、ホームレスは「高橋く~ん」と俺の名前を呼びながらゆっくりと近づいてくるではないか。長髪からのぞく顔を見てギョッとした。ハタ坊だった。
「しばらくだね~。元気かい?」人懐こそうに柔和に話す様子はあの頃のハタ坊のままだ。とはいえ、この状況は……あの、これ、うん、いま、ど、どうしてんの?
「長い現場仕事行っててさ、途中で怪我して帰ってきたんだ……それで、一週間ぐらい前からここに寝泊まりしてんだよね」なぜかにこやかにそう答えた。ハタ坊のやさしい性格からすると、また無茶な仕事をバカ正直に限界までやり続けてぶっ壊れたであろうことは想像に難くなかった。突然のことでびっくりしてしまい、そ、そうか。寒いから体気をつけてな、じゃあ、また、と多少頓珍漢なことしか言えなかった。

 東京に来たばかりの頃、街中で「高橋く~ん」と見覚えのない可愛い女の子から声をかけられ、名乗られてよく見れば地元の学校の同級生で、一重瞼からぱっちりした二重瞼に科学の力で変わっていたのでわからなかったことがあった。あのときもそうだったが、勇気を持って声をかけてくれただろうに、なんだか気まずくてこちらからそそくさとその場を立ち去ってしまった。なんだか申し訳ない気持ちになった。
 気になって数日後、同じ場所を遠巻きに見てみたものの、ハタ坊の姿と水道水を充填した大量のペットボトルの山は影も形もなくなっていた。あのとき俺はどうするのが正解だったんだろう。以上、気まずかった話(無理矢理ライトなシメ)。

90年代、中野にあった古着屋ニューネギシで300円で買った真っ黄色のベルボトムを好んで着用。金がなくて飯もあまり食えないから痩せてて26インチでも余裕で履けたが、ピチすぎてチンポ部分の盛り上がりがすごいことに

【著者紹介】

掟ポルシェ
(Okite Porsche)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー、これまで『盗んだバイクで天城越え』ほか、8枚のCDをリリース。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『TV Bros.』、『別冊少年チャンピオン』など多数。著書に『説教番長 どなりつけハンター』(文芸春秋社刊)、『男道コーチ屋稼業』(マガジン5刊)がある。そのほか、俳優、声優、DJなど、活動は多岐にわたるが、なかでも独自の視点からのアイドル評論には定評があり、ここ数年はアイドル関連の仕事も多く、イベントの司会や楽曲のリミックスも手がける。

[耳マン編集部]