「1500万円踏み倒された話~SNAIL RAMPの作り方・58」~タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマンであり、キックボクシングで日本チャンピオンにまで上り詰めたタケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
みんな! 久しぶり! もう今年も終わっちゃうね。今年もコラムを読んでくれてありがとう。この『耳マン』コラムも、もう何年書いているのかな。最近は滞りがちですみません。
「タケムラ、あいつコラムの更新頻度が最近低すぎない? もしかして死んだ?」という声が、年の瀬とともに俺にしか届かない電波にのって聞こえ始めたので、今、深夜のジム(TOKYO KICK WORKS)にひとり残り、これを書いています。みなさんに「スネイルで聞きたい話ってある?」と募集し、ちょこちょこ質問をもらっているので今回もそれに答える形でのコラムです。
今回いただいた質問はこちら。
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竹村 様
今後、コラムとしてとりあげてほしいテーマについてご連絡致します。
①school busレコードの設立に至った経緯やエピソード
②アキオさんの近況
③今後、snail rampの再始動の可能性について
以上、宜しくお願い致します。
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ありがとうございます。こういったアシストは大変助かります。今、続けて書いている『SNAIL RAMPの作り方』は、なるべく時系列に沿って書くようにしてはいるのですが、プロットもなく行き当たりばったりで書いているので、トバして書いちゃったのをあとで気づいて戻ったり、挙句の果てには以前すでに書いたことを忘れて再度書いたりするわけです。
今回は①の「SCHOOL BUS RECORDSの設立に至った経緯やエピソード」について書きたいと思います。
と思ったんだけど、なーんか前に書いた気もして過去コラムを遡ったら案の定!俺、書いてんじゃん! しかも2編。
https://33man.jp/article/column27/007813.html
https://33man.jp/article/column27/007961.html
ということで、今回はそこに書いてないエピソードを書いていこうかな。
俺が代表を務めるSCHOOL BUS RECORDSは完全に自主独立したインディーズのレーベル(平たく言えばめちゃめちゃちっちゃなレコード会社ね)として立ち上げ、最初はレーベルスタッフもいない自分ひとりでスタート。しかも何のレーベル経験やノウハウもなく始めたので、すべてを人に聞きながらの運営だった。
プレスしたCDをどうやって流通させればいいのかも分からないなか、レーベルスタート時に知り合ったあるディストリビューター(小売店に流通させてくれる問屋さん)のA社がいろいろと教えてくれたり、無知ゆえに頼むことすらしていなかった売り場展開をタワレコに掛け合ってくれ、しかもそれを無償でやってくれたりと、とても協力的に業務をしてくれていた。
そのA社にしても社長がひとり、社員2人~3人という小さな会社であり、ビジネス上の繋がりというより個人と個人と繋がりだった。そんなお付き合いが始まったのが1997年夏あたりだったが、同年の冬にもなるとスネイルも忙しくなりレーベルをひとりで運営するのは事実上無理、というか明らかにスネイルに差し支えが出るようになってきた。
発送や納品、入出金の管理までたったひとりでやるもんだから曲を作る暇がないし、都内の小さなCD店には商品を直接持っていくようにしていたために、スタジオや取材にまで遅刻が多くなった。
これはマズいということで、そういったこまごまとした業務はB社に委託することとし、俺はバンドの選定とレコーディングプロデュースをおもな役割としつつ、レーベルの代表として全体の方向性を決定していった。
それでも忙しすぎてはいたがこのやり方は功を奏し、SNAIL RAMP、SCHOOL BUS RECORDS、そして所属バンドたち全バンドも伸びていくことができた。そんな順調なある日、俺のもとへある連絡がくる。レーベル業務の一部を委託しているB社からだ。
「実はしばらく前からディストリビューターA社からの入金が遅れがちになっている。 A社の社長さんを呼ぶので、話し合いましょう」という内容だった。
「ありゃー、そうなんだ」と思いつつもA社の社長Mさんはお世話になった人なので、「まぁいろいろ事情があるんだろうな。未回収金が100万円~200万円あるかもしれないけど、無理ないペースで払ってもらって最悪の場合は目をつむるか」と話し合いの席につき、「売り掛けはいくらになってるんですか?」と聞いたら(記憶が定かでないが)1700万円~1800万円。
「はぁ?」となるよね。いやいや、膨らみすぎでしょうよ。
売り掛け未回収がキツいのは、収益がなくなるのにこちらはCDプレス代はもちろん、販促費やレコーディング費、なおかつバンドに印税だって払わなければいけない点だ。
「おぉ! 連鎖倒産ってこうやって起こるんだなぁ!」と妙な納得をしつつもさすがに思うところはあったので、それをAB各社に言わせてもらいながらも返済についての取り決めを締結。文書にして取り交わし、この日は終わった。これが恐らく2000年あたり? 俺が29歳のときか。
それからほどなくしてA社から月々の返済が始まり、遅れることもあったようだが少しずつ返済されていった。しかしあれは2003年あたりだったか、ついにA社と連絡がとれなくなった。スタッフが社長Mさんの自宅にも訪ねたが、当然にもぬけの殻。ついにいなくなってしまった。約1500万円の未払いを残して、とうとう社長のMさんは行方をくらましてしまったのだ。
1500万円を踏み倒された場合、通常はどういった反応をするのかわからないけど、俺はなんか哀しかったな。怒りってのはほとんどなくて、哀しみのほうが明らかに多かった。
というのもMさんは夜逃げ前から病気を患ったりもしていて「大丈夫かな?」っていう心配もあったし、レーベル発足時に特にお世話になったのがMさんなのだ。返済がキツかったなら、それを相談してくれれば当然に応じる気持ちもあったのに……。
あれから長い年月が経ってしまったが、Mさんは今どうしているんだろう。病気も治り元気にしててくれればいいんだけど。万が一これを読んでいたらせめて近況を知らせてください。
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