【大学時代のバイト番外編・臨床実験ボランティアその2】掟ポルシェ『男の!ヤバすぎバイト列伝』第14回

連載・コラム

[2016/5/25 12:00]

本連載はニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」のボーカル&説教担当、DJ、ライター、ひとり打ち込みデスメタル「ド・ロドロシテル」など多岐な活躍をみせる掟ポルシェが、男気あふれるバイト遍歴を語る連載である。すべての社会人、学生、無職よ、心して読め!!


【第14回】大学時代にやったバイト・番外編 臨床実験ボランティアその2



 Mさんから聞いて訪ねた「りんしょう」は、特に理由がなければ一度も乗り降りしない都内某駅にあった。雑居ビルのなかの何フロアかが病院になっているつくりだが、風邪をひいたとか腹が痛いとか、普通の疾病を抱えた近所の人々が診療にやってくることはない。ここは、健康な人だからこそやってくる臨床薬理施設なのだ。


 受付で名前を書き、臨床実験ボランティアについてのごく簡単な説明を受け、健康診断を受ける。その数値が正常値であれば治験に参加できるということだった。見た目や性根、態度で判断されることなど何もない。ここでは血液と内臓の状態だけがすべてだ。


 二十歳そこそこの頃の俺は、体力こそ人並みだが心身ともにバリバリ健康だったので、その基準を楽々満たす自信があった。父親が酒を飲むとテーブルに向かってずっと唸っているという暗いタイプのアル中(仕事をクビになること実に7回)だったことで酒にあまりいい印象がなく、酒癖が親父に似たら困るという理由で当時は一切酒を嗜まず、レコードを買う金が削られるのが嫌でタバコも吸わなかったので、治験前の事前検診は一発クリアだった。親父がアル中だったのを感謝したのはこのときぐらいだ。


 コピー用紙2枚程度の、現在参加可能な治験の予定一覧表をもらう。いまでいうジェネリックみたいな、Mさん言うところの「チョ~楽」なものから、抗癌剤のような多少ハードルが高いと思えるものまで各種取り揃えてあった。このなかで、自分の時間的都合と懐の困り具合に合わせて各自選択する。仕事ではなく「ボランティア」だけあって無理強いされることは何もない。投薬の前日あるいは前々日の決められた日時に来さえすれば、朝は6時になれば眠くても起こしてくれるし、病人食とは違ううまい飯が朝昼晩と勝手に出てくる。データ採取に邪魔にならない程度の娯楽もOKで、これ以上楽をして金を稼ぐ手段は他にないだろうと確信した。つまり、臨床薬理ボランティアは、ダメ人間にもできる「動かない肉体労働」なのである。ますます「俺に向いている」と感じた。


 実際の治験内容については守秘義務もあり詳述を避けるが、基本的には「薬を飲んで、採血して、飯食って、寝る」を規則正しい時間で行う、これだけのことだ。


 投薬の時間になると、頭蓋骨の内側でブーーーンという不穏なノイズミュージックが鳴るような気分が去来する。自分の体が実験台になり、健康な体に薬を入れるという異常に身を投じる不安が、脳にダウナーな矩形波を錯覚させる。大丈夫とわかっていても「もし重篤な副作用が出たら」などと考える瞬間がある。


 だが、実際やってみてわかったのは、「ほとんどの薬は健常者が投薬されても恐ろしいまでに何も起こらない」ことであり、何年後あるいは何十年後に0.000000000000000α%の確率でやってくるかもしれない副作用よりも怖いのは、「拘束されている数日の間ヒマが潰れないこと」の方だった。


 時代は90年代に入ったばかりで、インターネットという最強のヒマつぶしアイテムを我々庶民が手にするにはまだまだ日があり、自力で本やカセットウォークマン等を持ち込むか、無造作に棚に押し込められた背表紙の色あせたマンガの山を読破するぐらいしかやることがなかった。この臨床薬理団体の本棚にあるマンガというのが厄介で、そのほとんどが「近所の古本屋で全巻揃っていても誰も買わない類いのものを、安いからという理由だけで購入した」ことがハッキリとわかるものばかりで往生した。古本屋の肥やしの定番である『BE-BOP』は無論全巻揃い、柳沢きみお先生が80年代に何故かファッション業界を描いた『原宿ファッション物語』も全巻揃い。こちらのヒマと必要性を感じさせないマンガの内容との消去法的せめぎあいに大いに項垂れた。


 あとは、治験参加者同士で会話するしかしょうがない。金が儲かりさえすれば特に手法は問わないという倫理観のユルイ者の集まりなのでまぁまぁ気も合った。


 そこで知ったのは、他にも治験団体が複数存在するということであり、各団体を渡り歩いている強者が、相当数いるということだった。


 臨床実験ボランティアは毎月入れば生活できるほどの大金が余裕でもらえるが、有効なデータ採取のために設けられた休薬期間(大体3ヶ月ぐらい)というものがあり、立て続けに治験に参加することはほぼ不可能であった。だが当時、各治験団体間には横のつながりがそれほどなく、治験参加者名簿を共有していなかったため、休薬期間の間に、黙ってよその団体で治験を受ける者が結構いたのだ。なかには“治験ゴロ”と言われる、それだけで生活してるプロ臨床実験ボランティアまでいるという話だった。


 最初に入った治験の夜、そこで会った顔も名前も覚えていない特に特徴のない若者が話すこれまでの体験談と、臨床実験ジョークの入った“治験怖い話”を食い入るように聞いた。


 「採血の注射痕で他団体での治験参加がバレないように、オロナインを塗って注射痕を素早く消す。消えたらすぐよその団体の事前検診を受けに行く」、といったとんでもないことがわりと普通に行われているのだという。その話には必ずワンセットで怖い話が付随しており、「それでさ、休薬期間を守らないで、次から次へ治験に参加できるように造血剤を飲みまくって血を造ってた人がいたんだって。そしたらそいつ、造血剤がないと血が作れない体になったらしいよ」とか、「注射痕消え次第片っ端から治験に参加してた人がいたんだって。でも、血を採取されすぎて血が薄くなって、最後にはその人、血の色が緑だったって」とか、明らかにウソと思われる風聞の又聞きに爆笑し盛り上がった。恐らくあの頃、消灯時間になり職員も看護婦も帰ったあと、どこの治験団体でも夜な夜なこの臨床実験定番与太話が繰り広げられていたことだろう。


 またある夜には、他の治験参加者から東京都内を中心とした臨床実験ボランティア団体20数ヶ所の住所と電話番号が記載された紙が回ってきた。金山の地図を手に入れたかの如く静かに狂喜乱舞し、厳かな気持ちのない写経のようにいそいそとありがたく書き写した。「よし、この治験から出たらその足でオロナイン買いに行こう」と、最高に欲に目を眩ませて心に誓った。堂に入ったクズへの道を俺は歩み始めていた。

東京堂で買った気持ちの悪い柄のパーカーは結構高かったが、臨床実験をやって金をもっていたのでまぁ余裕で買えた。そういえばこの頃、金がなくなるとパチンコ屋に行ってなんとか乗り切ろうとしていて頭が悪かった。博才が驚くほどないため羽根モノ台で2万とか平気で負けていた(そしてまた別の臨床実験へ)


【著者紹介】

掟ポルシェ
(Okite Porsche)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー、これまで『盗んだバイクで天城越え』ほか、8枚のCDをリリース。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『TV Bros.』、『別冊少年チャンピオン』など多数。著書に『説教番長 どなりつけハンター』(文芸春秋社刊)、『男道コーチ屋稼業』(マガジン5刊)がある。そのほか、俳優、声優、DJなど、活動は多岐にわたるが、なかでも独自の視点からのアイドル評論には定評があり、ここ数年はアイドル関連の仕事も多く、イベントの司会や楽曲のリミックスも手がける。

[耳マン編集部]