『ザ・ゲッタウェイ』発売&フジロック出演!レッチリの歴史とジャケ弁〜オバッチの『ロックな食生活』【第13回】

連載・コラム

[2016/6/16 12:00]

「俺たちのレッチリのアルバムが出るぞ!」
レッチリが好きだ! オバカなパフォーマンスも! ファンキーなレッチリも!  着衣がソックスだけでも!
メロディアスなレッチリも! ギタリストが変わっても! レッチリが好きなんじゃー!!!と叫びたい。
今年はアルバムが出ます! そしてフジロックに出演です。そんなわけで今回はレッチリについて語ります!


レッチリの歴史とジャケ弁

初めてレッチリのCDを買ったのは高校生の頃でした。雑誌でよく見かけるし、楽器屋に貼ってあったビートルズの『アビイ・ロード』のパロディのポスターが馬鹿っぽくておもしろそうだし、「ちょっと買ってみようかな?」って買ったのを覚えています。それからずっと大好きなバンドです。レッチリのジャケ弁もいろいろ作ったので、そのアルバムが出た頃のレッチリについて覚えていることを書いていこうと思います。

『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』(1992年/当時のギタリスト:ジョン・フルシアンテ)

レッチリがビックバンドになった歴史的アルバム。バンドの最高傑作だと思います。同作が初めて買ったレッチリのアルバムでした。リリースの1年後に来日したレッチリですが、ジョンが来日中に脱退してしまい、その後はいろんなギタリストが入っては辞め、バンドは不安定な時期になります。

『ワン・ホット・ミニット』(1995年/当時のギタリスト:デイヴ・ナヴァロ)

ナヴァロが加入していた時期の唯一の来日が初年度のフジロック、『フジロックフェスティバル’97』です。ボーカルのアンソニー・キーディスは腕を骨折したまま出演、台風直撃という天候のなか行われたライブは今では伝説ですね。1997年は日本の夏フェスがスタートした時期でもあります。私は動画でしか観ていないのですが、現場に行っていた友達はみんな「大変だった」って言ってたなぁ。このアルバムは好みが分かれる作品のようですが、私は大好きです! アルバムも、ナヴァロも! 「このアルバムが好きなレッチリファンの人とはだいたい友達になれる」と、勝手に思ってます。

『カリフォルニケイション』(1999年/当時のギタリスト:ジョン・フルシアンテ)

※ジャケ弁には合成着色料を使わない主義なので、このアルバムでは作っていません。

“ナヴァロが脱退してレッチリは解散か?”みたいな雰囲気だった頃、“ジョン・フルシアンテ奇跡の再加入!”でリリースされたアルバム。メロディアスな曲がたくさんあって、「ファンキーじゃない!」と最初は困惑したものの、聴けば聴くほど好きになっていった作品です。じっくりゆっくり長い時間をかけて売れ続けて、ジョンの復活とともにバンドが生き返ったようなイメージがあります。


2000年、レッチリ初の武道館公演がありました。そのための来日のタイミングで、タワーレコード(渋谷店の地下イベントスペース)で『トークショー&握手会』というものがありました。会場では、そういったイベントに慣れていないジョンがモジモジしてて、それをアンソニーとフリー(ベース)とチャド・スミス(ドラム)が見守り、ジョンをフォローしてトークを展開していました。トークショーのあとには、メンバー全員との握手会が! チャドはガハハと笑い、フリーは日本語で「アリガトゴザイマス」と言ってくれ、アンソニーのかっこよさに卒倒しそうになり、ジョンは照れて微笑んでました。私は感動のあまり泣きました(顔がレッドホット=赤面)。

そして、武道館のライブが初めて観たレッチリのライブでした。短くてあっという間に終わってしまった記憶があります。ジョンがまだ静かに弾いてる状態で、みんなで「ジョン!がんばれ!」って気持ちで観てたなぁ。ここからレッチリの快進撃が始まっていきます。

『バイ・ザ・ウェイ』(2002年/当時のギタリスト:ジョン・フルシアンテ)

この年のレッチリはアルバム『バイ・ザ・ウェイ』をリリースして『フジロックフェスティバル’02』に出演しました。あいにくの天候だった97年のリベンジですね。フジロックは元メンバーのナヴァロもジェーンズ・アディクションのギタリストとして出演していて、しかもジェーンズ・アディクション→レッチリという出演順で、オルタナ世代歓喜の流れでした。前回の来日時ではステージパフォーマンスが控えめだったジョンが派手にギターを弾きまくっていて、「ああ、ジョンが本当に完全に復活したんだ!」と泣きながら観ました。そしてレッチリの大先輩でアルバムのプロデュースも担当したジョージ・クリントンが『ギブ・イット・アウェイ』(1991年)で飛び入り参加して、最高に楽しかったです。

秋には幕張メッセ&さいたまスーパーアリーナで単独公演を開催。単独公演の会場がどんどん大きくなっていってますね。当時のチラシを見てみたら、さいたまスーパーアリーナ公演が“EXTRA SHOW”と書いてあり、「これって追加公演だったっけ?」と驚きました。追加公演がさいたまスーパーアリーナって、それだけレッチリの人気がすごかったんだなぁと。

2003年にはベストアルバム『グレイテスト・ヒッツ』を、2004年にはライブアルバム『ライヴ・イン・ハイド・パーク』をリリースし、ウドー音楽事務所が主催していた夏フェス『ザ ロックオデッセイ』出演のために来日しています。レッチリの出演はトリ前で、トリは矢沢永吉さんでした。レッチリも永ちゃんも最高だったなぁ。

画像はタイムテーブル、背景はそのときに買った矢沢タオル

『ステイディアム・アーケイディアム』(2006年/当時のギタリスト:ジョン・フルシアンテ)

ジャケ弁をスタートしたばかりの頃に作ったので下手ですね

この頃はもう本当に大物バンドという感じになってました。『ステイディアム・アーケイディアム』は初の2枚組アルバム。『ダニー・カリフォルニア』が映画『デスノート』の主題歌になったりして、一般的に知名度がグーンとアップした時期でもありました。

そして3度目の『フジロック』出演のため来日。その数日前にテレビ番組『ミュージックステーション』に出演しました! そんでチャドがタモさんのほっぺにSuck My Kissしてたんだった!ww フジロックでのライブは新作とヒット曲をバランス良く演奏してました。私ははしゃぎすぎて前のお兄さんに頭突きしてしまって、「やばい!」と焦ってたら、ノリノリで「大丈夫だ!」ってハイタッチしてくれて、レッチリのファンって明るくて最高だなぁと思いました。

2007年は東京ドーム&京セラドームツアー。「え?レッチリがスタンディングじゃないの? ドームってレッチリぽくない」って気持ちもありました。が、東京ドーム初日は、ヒット曲づくし! 2日目はマニアがうなるセットリスト。「これは大阪でも内容を変えてくるだろうな!」と思って勢いで大阪まで行ってしまったんですが、大阪ではラモーンズのカバーと名バラード『ソウル・トゥ・スクイーズ』を演奏してくれて、3公演にそれぞれ特色があってすごく良いライブだったなぁ。このままレッチリはメンバーチェンジをせず安定して続いていくんだろうと思っていたのを覚えています。(ところが……)

『アイム・ウィズ・ユー』(2011年/ギタリスト:ジョシュ・クリングホッファー)

「レッチリのメンバーはあの4人でもう固定でしょ!」と信じてたのですが、ジョンがまさかの2度目の脱退。
すごくショックでした。「なんだよ、バンドより個人なのか! ジョン」(涙)。そしてジョンのソロプロジェクトでも共同制作を行っていたジョシュがレッチリに加入しました。

この年には『サマーソニック』に初出演。ジョシュがまだバンドに馴染みきれてない印象を受け、個人的にちょっと消化不良だった記憶があります。アルバムは、今聴くと「悪くないなー」と思うのですが、ジョン脱退のショックから立ち直れていなかったこともあり、あんまり聴き込んでなかったなぁ。

そういえばサマソニで販売されたTシャツのデザインがなかなかパンチあるデザインでした……「いっしょだよ」ってww どうやって着こなせばいいのか、誰か教えてください。


さぁ~て! 2016年のレッチリは~(サザエさんの次回予告風に)

ジョシュが加入してから5年、最近のライブ映像を観ると、「数年前はジョシュさん馴染んでない!とか思ってすみませんでしたぁ!」と土下座したくなるくらい良いライブを行ってますね。アルバムもリリースされるし、20周年のフジロックに出演も決定したし、今年の夏は最高にレッドホットになるはずです。


今回はアルバム『ザ・ゲッタウェイ』の発売を記念して、発売日の6月17日よりフライング気味ですが、ジャケ弁を作りました。
今回のジャケはなかなか難易度高めです!

(1)お弁当箱にご飯を敷いて平らにし、その上にとろろ昆布をのせます。

(2)焼き海苔を切って配置し、ほぐした梅干しを塗ります。

(3)薄焼き卵、焼き海苔、ハムの順番にカットし配置します。

(4)熊の形にカットした焼き海苔をカットして配置します。

(5)カラスの形にカットした焼き海苔と、円形にした卵焼きを配置します。

(6)ハムをカットして配置、細かくカットしたキャベツと鰹節を混ぜて炒め、服の位置に配置します。醤油と混ぜた鰹節を髪の位置に配置して少女の完成です。

(7)カマボコをカットし、その上にとろろ昆布と焼き焼き海苔をカットしアライグマの完成です。

(8)細かく切った焼き海苔を卵焼きの柱の上に配置します。カマボコをカットして、熊の鼻の所とドアのパーツの位置に配置します。梅干しのドアの部分に、マヨネーズで文字を描きます。

(9)最後に焼き海苔を文字の形にカットして配置して完成です!!!!

今回は制作過程をスライドショーにしてみました。

(※音が出ます!)

@33man_jpが投稿した動画-


レッチリの話をするとみんな笑顔になります

2年ほど前、『ベース・マガジン』さんから「“エフェクター弁当”を作って欲しい」と依頼を受けて、そのときに「ベース・マガジンならレッチリのフリーをモチーフにしたおかずも作りたい!」ってことになり、それからの打ち合わせはずーっとレッチリの話をしてたのを思い出しました。

そのときに作ったのがこれです。

レッチリのフリーが子ども向けに安い価格で作った『FLEA BASS』をモチーフにしたビーマンのひき肉詰めとニンジン+ハンバーグ。カマボコはフリーのサインをモチーフに!(本人が前歯が1本ないので、サインの時にそこの歯を黒く塗りつぶすんです)。下のパスタは赤唐辛子をメンバーの数に合わせて4本使ったペペロンチーノになっています。

そのお仕事した流れでこの連載『ロックな食生活』をやることになったんですね。レッチリが繋いでくれた縁なのかもしれません。

レッチリのストーリーは少年漫画みたいですよね。『週刊少年ジャンプ』とかで連載したらヒットしそうな気がするんですが、どうでしょうか? 『ジョジョの奇妙な冒険』みたいに時期ごとに“第何部”とか区切って。

アンソニー、フリー、ヒレル、ジャックがふざけて作ったバンド。ヒレルが亡くなった後にジャックも辞めてしまったけど、アンソニーとフリーは「ヒレルが作ったバンドを終わらせられない!」と続けることにして、バンドの追っかけだったジョンが加入して、チャドみたいな豪快な仲間も入って……

バカでふざけていたバンドから、みんなの心に響く感動的な曲を作るバンドになって、人が成長していく過程が音楽に反映されていて、本当に素敵だなぁと。いつの時代も魅力的なバンドだなぁと改めて思います。

フリーが養蜂を始めても! まだジョシュのキャラが掴めてなくても! チャドのつなぎが工場の制服に見えても! アンソニーのヒゲはかっこいいのか!?と思っても! レッチリの話をしてるとみんな笑顔になれる気がします。

さあ、17日はアルバム『ザ・ゲッタウェイ』をゲットして、フジロックに備えましょう! レッチリ大好き!


【著者紹介】

オバッチ(ジャケ弁職人)
本職は印刷関係のデザイナー。料理の腕は人並み、手先は器用。好きなミュージシャンはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ナイン・インチ・ネイルズ、ベン・ハーパー、岡村靖幸など。いつかザック・デ・ラ・ロッチャさんにお弁当を食べてもらうのが夢です。

[耳マン編集部]